日本遺産申請 神武東遷 〜古と現在をつなぐ、遥かなる道のり〜
Posted morimori / 2019.01.26 Saturday / 23:22
宮崎市など県内4市町を含む9府県22の市町村は1月25日、初代天皇の神武天皇が同市から奈良県橿原市へと東遷したとされる「神武東遷」に関連する物語を、文化庁の「日本遺産」に申請したと発表しました。
※「東遷」とは・・都などが東の方へうつること。
以下は、宮崎市 報道資料より引用
申請日:平成31年1月25日
参画市町村(22団体)
宮崎県 :高原町、都農町、宮崎市、日向市
大分県 :佐伯市、大分市、宇佐市
福岡県 :芦屋町※、北九州市※
広島県 :府中町
岡山県 :笠岡市、岡山市※
大阪府 :東大阪市、泉南市
和歌山県:和歌山市、那智勝浦町、新宮市
三重県 :熊野市
奈良県 :東吉野村、宇陀市、桜井市、橿原市
※12/12付けで3自治体が参画
申請タイトル:神武東遷 〜古と現在をつなぐ、遥かなる道のり〜
ストーリー概要
日本の神話や国家の成立が記された、わが国最古の歴史書『古事記』・『日本書紀』には、宮崎・日向で生まれ育った神武天皇が、奈良・大和橿原までの遥かなる道のりを旅し、初代天皇として即位する物語が記されています。「神武東遷」と呼ばれるこの旅路の伝承は各地に残っています。それらの土地を訪れ、伝承とともに生きる人々の姿を知ることは、「現在を生きる私たち」と「かつて生きた人々」とをつなぐ縁となるのです。
構成文化財数
56件
宮崎神宮、皇宮神社など、22団体から神武東遷のストーリーにまつわるものを構成文化財としている。
皇宮神社(皇宮屋)・宮崎市
皇宮屋(こぐや)とは神武天皇御東遷前の皇居跡と伝わるところで、現在は宮崎神宮の摂社に列する皇宮神社が鎮座しております。神武天皇は、諸県の高原郷の狭野原(現在の高原町の狭野)でご誕生になり、皇太子となる15歳の時、宮崎へお移りになり その後、東征に向かう45歳までお過ごしになったといわれています。ここは、今の宮崎神宮の地に宮居なさる以前の宮居の地、もしくは行宮の跡であったのではなかろうかと云われております。皇宮神社(皇宮屋)
お舟出の地・美々津
カムヤマトイワレヒコノミコトは45歳のとき、兄・五瀬命(イツセノミコト)らとともに国家統一を決意し、日向の美々津(みみつ)から兵をまとめて筑紫(福岡)に向かう。出港後は、豊国(大分)、筑紫から瀬戸内海を経て、浪速(大阪)に入り、紀州に回って大和に入った。大和を平定した後に橿原宮(かしはら宮)(奈良)で即位し、初代天皇「神武天皇」となりました。
古事記では・・
「何れの処にいまさば、平らけく天の下の政を聞こしめさむ。なお東に行かむと思ふとのりたまひて、即ち日向より発ちて筑紫に」
日本書紀では・・
「冬十月丁巳の朔……日向より諸皇子・舟軍(ふないくさ)を率いて東征」
関連リンク(外部)
以下は、神武東遷神話ゆかりの地をわかりやすく解説した動画。
神武東征〜宮崎の神話〜(Youtube)
日本遺産
「日本遺産」は、地域の文化財を観光振興や地域活性化につなげようと同庁が2015年度から認定。地域に伝わる有形・無形の文化財について、歴史や文化、伝統を盛り込んだストーリーを構築し、文化庁が認定する制度。日本遺産(Japan Heritage)」とは(文化庁サイト内)
これまでに登録された日本遺産(文化庁サイト内)
日本遺産に認定されると、初年度4000万円、2年目に2000万円、3年目に1000万円程度の補助が受けられ、さらに、日本遺産を通じた活性化策を指導、助言する「日本遺産プロデューサー」の派遣もあるとか。
昨年、本県からは4件の申請を行い、内、以下の一件が登録されました。
宮崎県 西都市、宮崎市、新富町
古代人のモニュメント −台地に絵を描く南国宮崎の古墳景観−
他の3件は見送りとなりました。(以前書いた関連記事)
➡ 宮崎市、西都市、新富町 3市町の古墳 文化庁「日本遺産」に認定
今回、宮崎県からは、「神武東遷 〜古と現在をつなぐ、遥かなる道のり〜」と共に 日向市と門川町が日向岬などでみられる「柱状節理」をテーマに申請したとのこと。
おそらく、前回見送られた
宮崎県◎日向市,門川町
岩岩いこうぜ! ロックな景観〜時を超えて柱状節理がもたらした恩恵
を見直しての、再挑戦なのかも知れません。
2つとも登録されると良いのですが・・・
# 神話などの掲載内容に関し、学説・見解等の相違についてのご意見はご了承ください。
− 日本遺産申請 神武東遷 〜古と現在をつなぐ、遥かなる道のり〜 −
Comments
Comment Form