【4/11写真追加】令和4年 花立花見神楽(郷之原神楽=山宮神楽)を見学
Posted morimori / 2022.04.05 Tuesday / 23:09
4月3日(日)、日南市北郷町の花立公園で、桜 舞い散る中「花立花見神楽」(郷之原神樂)が奉納されました。
(4/11写真を10枚追加しました)
手力(たぢから)
桜と神楽・・日本の風景、若い中高生の舞・楽の活躍、気さくな松田治生宮司のお話、桜舞い散る中、心地良い時間が流れていった。
花立公園の桜(4月3日)
見頃も終わり気味 花立公園の桜(2022/4/3)
「疫病退散祈願 花立神楽」
今年は「疫病退散祈願 花立神楽」でもある。
当日頂いた資料より引用
疫病退散祈願花立神楽
神社の記録の中に安改6年(1859)3月28日付の「鵜戸山太々神楽番次役」という古文書があります。この神楽は、前年の安攻5年(1858)に日本国内で大流行したコレラの鎮静化を祈願した神楽だったと考えられています。
この時のコレラは、長崎から侵入し、江戸でも死者数は、10万人とも30万人とも記録があります。又 安政6年(1859)の秋には、油津、飫肥にも侵入し、死者数が161人にもなっています。(南那珂医師会誌)
疫病は、今に始まった事では、ありません。一日も早く鎮静化するよう一緒に祈りましょう。郷原神社 宮司 松田 治生
花吹雪舞う中、若い子たちの舞い 奏でる楽、良かったです。
「花立花見神楽」は北郷町鎮座「郷原神社」の郷之原神楽(山宮神楽とも呼ばれる)で、舞・楽共に中・高校生など太鼓以外は若い方ばかりで奉納されております。
後継者として育つと良いのですが、高校からの進学、社会人となって地元を離れる方も少なくないようで、卒業後神楽を続ける方はあまりいらっしゃらないようです。
それでも次から次に新しい方が参加して、毎年こうやって奉納・披露出来るのは、素晴らしいことだと思います。
応援も兼ねて、写真をいくつか紹介、動画も一番(鉾)を 最後に掲載しました。
奉者舞(ほうしゃまい)
奉者舞(1) 花立花見神楽(郷之原神楽)
(この画像のみ4Kサイズまで拡大します。)
(この画像のみ4Kサイズまで拡大します。)
奉者舞(2)
鯛釣舞
鯛釣舞
鯛釣舞
鯛釣舞
鯛釣舞(手に持つのは「潮満つ珠(しおみつたま)」)
松田宮司
郷原神社 松田 治生宮司
笛は高校生
笛を担当する高校生
鬼神
鬼神舞
鬼神舞
御酒上げ(ごすいあげ)
御酒上げ(ごすいあげ)
ちょくめん
ちょくめん
ちょくめん
みどり
宮崎市平野部の神楽でも見かける、みどり舞ですい。「み」は竹で編んだ農具「箕」の事で「箕取り」です。宮崎市平野部の神楽では、「みどり」とセットで杵を持って舞う「杵舞」が前半に入るところもあります。春神楽(作神楽)特有のものです。
鉾(ほこ)
鉾舞
鉾舞
手力(たぢから)
手力(たぢから)
手力(たぢから)
手力(たぢから)
動画「鉾(ほこ)」
「鉾」は霧島の来歴を物語り、霧島信仰をうかがわせます。舞いは中学生、太鼓以外は高校生/中学生だったと思います。
「奉者舞」と「みどり」は舞手が変わり二回奉納
「御神体」も披露されましたが、高千穂の神楽を模したものなので割愛(^^)
今年の「花立花見神楽」は当初、一週前に開催を予定していたようですが、急遽 宮司さんのご都合(ぎっくり腰と仰ってました)により、一週伸びたようです。
私にとっては、先週予定されていた事を全く知らなかったので好都合でした。
桜は先月までが見頃だったようで、だいぶ散っており、お花見にいらっしゃる方もまばらでした。
神楽の見学者も今まで見た中では一番少ない、寂しいものでした。
特に、観客との絡みのある「ちょくめん」などの番付は、盛り上がりに欠けてました。やり辛かっただろうなぁー
毎年、多くの写真愛好家もいらしているのですが、今年は皆無。
横で連写している方がいらっしゃるなーと思い見ると、宮日新聞の記者の方でした。
後日、この日の記事が掲載されておりました。
➡ 桜舞う中 神楽奉納 中高生ら勇壮に舞う宮崎日日新聞 2022年4月7日 配信
以下は 宮崎の神楽と特殊神事 (企画発行 宮崎県神社庁)より「郷之原神楽」の項目を引用したもの。
郷之原神楽
郷原神社は、『日向地誌』によると、もと一之瀬川の上屋敷に鎮座していたが、しばしば水害に遭ったため、現在地に遷座した、とあります。
古くは山宮大明神と呼ばれていました。
神楽・神事に関する文書としては、『神楽仕立書』 『鵜戸山大々神楽神舞番次役各記(安政六年)』『神道鬼神旬』があり、延宝年間(一六七三〜八一)の神楽面が保存されています。
現在、十五名の郷之原芸能協賛会により郷之原神楽として、二月第二日曜日、郷原神社拝殿にて奉納されています。
神楽の番付は社人の長が舞う奉者舞から始まり、手力まで十一番が舞われます。
滑稽な仕草で子孫繁栄を説くちょくめん。
袖下ろしの舞であるくりおろしや、神々に神酒を奉献する御酒上げ。
霧島の来歴を物語り霧島信仰を窺(うかが)わせる鉾(ほこ)。
豊作を祈願する県南作神楽の代表的なみどりや、別名田植え舞ともいわれる御笠もあり、天の岩戸開きの神話に由来する手力で締めくくられます。
[神楽番付]
一、奉者舞
二、ちょくめん
三、くりおろし
四、剣
五、鬼 神
六、鉾
七、御酒上げ
八、みどり
九、鯛釣舞
十、御 笠
十一、手 力
神社名:郷原神社
鎮座地:日南市北郷町郷之原乙 5032
宮司名:松田 治生
神楽名:郷之原神楽
奉納日:2月第2日曜日
保存会名:郷之原芸能協賛会
神楽面の保存:有(8面)
(代表的な面 手力、鉾、鬼神、鬼神、鬼神、天照、ちょく面、木花)
/ 引用 おわり
関連リンク
宮崎の神楽(当サイト内ページ)花立公園
【追記】
神楽は10時よりはじまり、お昼休憩を挟んで午後2時頃に終了しました。
翌日、串間市を周る予定でしたので、「るるぶトラベル」で「今こそ鹿児島の旅」を利用して志布志の大黒ホテルを予約の上、一泊した。
➡ るるぶトラベル 県民割
翌日は、串間市 高松海水浴場|高松キャンプ公園(旧 高松漁村広場)、志布志湾大黒イルカランド、旧吉松家住宅、串間神社を見学した。
旧吉松家住宅、で、思わぬ貴重なものに出会った。
串間神社で夜神楽(神舞)が奉納されていた頃の貴重な神楽面10面が展示してあったのでした。
帰宅後、串間市のサイトで調べると
串間神社の神楽面(10面)有形文化財 昭和53年2月3日と書かれていた。
旧吉松家住宅に展示
1面に文明十一年の銘があり、仮面史上貴重な史料である。
串間神社では毎年12月14日の夜に神舞祭が行なわれていた。
文明11年は西暦1479年、543年前 戦国時代ですね。
西都市の南方神社に、室町時代文亀2年(1502年)と墨書きのある、手名槌、足名槌の面が伝わりますが、それによく似た翁面もありました。 (参考:西都市サイト)
神面の写真を撮りたかったのですが、撮影禁止でした。残念。
串間神社の神舞は、神職しか舞えないしきたりだったようで、戦時中に途絶えてしまったようです。
参考まで現在確認されている有銘仮面の中で宮崎県内最古の神楽面は、生目神社に伝わる面で「寶治2年銘の面」、1248年(鎌倉時代)の作のようです。
船引神楽(宮崎市)は、明治の中ごろに神楽衰滅の危機があり、同系の神楽である串間市の串間神社に3名の少年を派遣し、習得させ復活を図ったとの事ですので、串間神社でも船引神樂と同じような神楽が舞われていたのかも知れませんね。
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