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訃報 宮崎の観光発展に寄与 渡邊綱纜氏が死去

Posted morimori / 2024.10.18 Friday / 07:50


渡辺綱纜 渡邊綱纜(わたなべつなとも)氏が 今月14日、老衰のため老衰のため宮崎市の病院で死去されたそうです。93歳でした。

ご冥福をお祈り申しあげます。 

渡邊綱纜(わたなべつなとも)氏は 1953(昭和28年)に 宮崎交通に入社。企画宣伝課長を務めた64(同39)年、作家の川端康成がNHK連続テレビ小説「たまゆら」の取材で来県した際、青島や鵜戸神宮など県内各地を案内して回りました。(後半に記載)

「宮崎観光の父」といわれた岩切章太郎さんの下で長年宮崎県の観光推進にご尽力された方で、2002年には観光3団体を統合する検討委員会の座長を務め、みやざき観光コンベンション協会(現・宮崎県観光協会)創設に貢献。
09年には、岩切さんらに次いで日本観光協会から観光振興事業功労者に選ばれています。



以下は、以前書いたブログ記事より掲載

NHK朝の連続テレビ小説「たまゆら」

昔、NHK朝の連続テレビ小説で 川端康成原作の「たまゆら」が放送されました。
(時代的に)私は見ておりませんが、川端康成氏の取材の同行をされた、当時宮崎交通の渡邊綱纜(わたなべつなとも)さんの著書で種々のお話を知りました。

「たまゆら」は川端康成の書き下ろしだったようです。

「たまゆら」の取材の為に川端康成は九州を訪れた。

飛行機が四国南端の足摺岬を過ぎ、しばらくしてから機内放送は間もなく宮崎空港に着陸する事を告げた。
川端康成は、いままで読みふけっていた文庫本を、目の前の茶色いボストンバックにゆっくりと納めた。

文庫本は「古事記」だった。

取材は、宮崎から鹿児島へ、そして天草、島原を経て五島列島までが当初の予定コースだった。

昭和39年11月16日、宮崎空港から宮崎観光ホテルへ向かう途中、タクシーから見た大淀川の夕映えの美しさに川端はいたく感動、当初、宮崎は2〜3日の滞在予定のはずだったが、大淀川の夕映えの美しさが川端を引き止め、もう一晩もう一晩と・・、とうとう15日も宮崎で過ごしてしまう。

橘公園 大淀川の夕景



二人は川べりに立って夕映えのなかにつつまれて夕映えをながめた
夕映えは大川の水面にもひろがって来ていた
静かな水の色が夕映えのなかへふくらんで あたたかく溶け合っているようだった。


「たまゆら」の一節より


橘公園 大淀川の夕景

結局、川端は、宮崎市滞在後は、えびの高原に一泊、その後鹿児島に二泊して帰郷したそうです。

この辺りの事は、
『大地に絵をかく』 渡辺綱纜 鉱脈社 第三部「川端康成と宮崎」
『空ある限り』渡辺綱纜 企画編集宮日カルチャーセンター 等 に詳しく書かれており、大変興味深く読ませて頂きました。

以前は、観光ホテルが立ち並び、賑わっていたあの大淀川橘沿い、橘公園付近界隈も、今や多くのホテルは廃業、寂しい状況ですが、川端の見た、大淀川の夕映えの美しい光景は、今でも変わりません。

「橘公園」の東 宮崎観光ホテル前辺りに「川端康成文学碑、通称「たまゆらの碑」が建っています。
「たまゆらの碑」は、昭和62年(1987年)に建立されたものです。

たまゆらの碑
川端康成文学碑、通称「たまゆらの碑」



10月17日には、俳優の西田敏行さんも・・

10月17日には、俳優の西田敏行さんが亡くなったとの知らせもありました。

西田さんは 映画「釣りバカ日誌」の主人公のハマちゃんでも知られてますが、「釣りバカ日誌」の漫画原作者、やまさき十三さんは 都城市出身です。
同じ「釣りバカ日誌」のスーさん役で活躍されていた、三国連太郎さんは、俳優になる前、一時期、宮崎交通に勤務していたのをご存知でしょうか。
渡邊綱纜氏の著書で読んだ気がします。
意外とこの事実を知る方は少ないかも知れません。


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