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中之又神楽(米良の神楽)見学断念 - 平成28年の画像

Posted morimori / 2025.12.14 Sunday / 23:36


2012年から毎年のように通っていた。木城町、中之又鎮守神社の大祭での中之又神楽(米良の神楽)、今年は雨予報ということもあり、雨除けのシート下エリアにも限りがあると思いましたので、見学は遠慮しました。

代わりに今回掲載したのは、平成28年、2016年の中之又神楽の画像です。

実は、中之又神楽は、1年だけ、昼間から奉納された年もありました。
当時書いたブログ記事参照 中之又神楽(夜神楽)今年は昼からの神楽に(2016.12.01)

以下に掲載したのはその年の写真です。
この年は、紅葉が遅い年だったので、裏山の紅葉が美しく、普段暗い中で灯りに照らされた姿しか見ない、姥嶽大明神(大社舞)などがが自然光の下で見ると、ある意味新鮮に見えました。

平成28年(2016年)中之又神楽
平成28年(2016年)中之又神楽


平成28年 中之又神楽 大社舞(姥嶽大明神)
平成28年 中之又神楽 大社舞(姥嶽大明神)
大社舞の面は 修験僧大円の作とされている。


平成28年(2016年)中之又神楽
平成28年(2016年)中之又神楽


平成28年(2016年)中之又神楽にて
平成28年(2016年)中之又神楽にて


当サイト内、「中之又神楽」あとがき より一部抜粋引用
中之又地区は、宮崎県木城町の街中から車で約45分程のところにある山間にある自然豊かな小さな集落。
令和5年(2023年)4月1日現在、27世帯 36人が暮らしており、うち28人が65歳以上の高齢者となっており、高齢化率は8割を超える「限界集落」です。

昭和30年代は、林業、鉱山なども栄え、最盛期には約800人が暮らし「中之又小学校」の生徒数も100名を超えていたと聞きます。

産業の衰退と共に、やがて過疎化は進み、平成になると生徒数も10人以下となり、地区の「中武千草さん」らが中心となり、小学校を守るために山村留学をはじめた、宮崎市内など県内の都市部から受け入れ 1995年度から2008年度まで 13年間延べ 230人が学んだが、平成20年度全校児童数は2名まで減少してしまい、平成21年(2009年)3月、最後の卒業生を送り出し、「中之又小学校」は閉校となってしまいました。


私が、「中之又神楽」を知ったのは、一昔以上前、NHK宮崎放送(ローカル)で放送された番組でした。
おそらく「中之又小学校」が閉校した年(2009年)の頃だったろうと思います。
中之又神楽では、「中之又小学校」での山村留学中に、神楽を学んだOB/OGが毎年、日向市や宮崎市から中之又へ神楽に戻って来て、舞い手を担っている事、舞いを見守っている母のような「中武千草さん」の姿、感動しました。
その後、中武千草さんは、親や集落のお年寄りたちが家 集落を離れて遠くの施設へ行かなくてすむようにと 多くの人々の協力を得て 2011年12月に有料老人ホームも開設しました。
千草さんの夫、中武春男さんは、中之又鎮守神社の宮司でもある。

2012年、はじめて中之又神楽を訪れ、その後、毎年のように訪れております。


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