熊本地震から一年 熊本県山都町 通潤橋(つうじゅんきょう)
Posted morimori / 2017.04.15 Saturday / 23:36
熊本地震[4月14日(前震)、4月16日(本震)]から1年が経ちます。
あらためて、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
また、被災された皆様にお見舞いを申し上げます とともに、一日も早く復旧・復興が進みますことを 心よりお祈り申し上げます。
先日、熊本県上益城郡山都町にある、国指定重要文化財「通潤橋」を訪れました。
「通潤橋」は熊本地震で、通水石管の目地に充填されている漆喰(しっくい)が破損したと推測され、多量の漏水を確認、橋上端に積まれている石材にもずれが生じて外側にせり出しているほか、通水管の間にある被覆土(ひふくど)にも亀裂が確認されたとのことです。
〜 通潤橋(雨の中での撮影につき色も映えません) 〜
見た感じでは、一年経った今でも、手付かずの状態のようで、橋の上見ると、ご覧のように、ブルーシートが被せてあり、一帯は立ち入り禁止となったままです。
〜 橋の上にはブルーシートが 〜
併設された、道の駅通潤橋の店員の方に、声をかけると、2〜3年は無理ではないでしょうか?・・と、おっしゃってました。
帰宅後、山都町のサイトを参照すると、"通潤橋の本格的な復旧工事に着手できるのは、現時点(2016年6月時点)で平成29年度以降と想定しています。"と書かれておりました。
現代の土木技術でコンクリートなどを使い補修するのであれば、簡単なのでしょうが、通潤橋は、「肥後の石工」と呼ばれる名工たちが嘉永5年(1852)12月から1年8ヶ月を要し作ったもの。
「国指定重要文化財」ということもあり、震災前の状態に復旧させるのは、そう簡単な作業ではないのでしょう。
通潤橋(つうじゅんきょう)
通潤橋は周りを深い谷に囲まれた白糸台地へ灌漑用水を送るためにつくられた水路橋です。建設者は矢部総庄屋布田保之助、工事を担当したのは卯助、宇市、丈八ら「肥後の石工」と呼ばれる名工たち。
延べ27,078人が動員され工事は、嘉永5年(1852)12月から1年8ヶ月を要したという。使われた石材は約6千個に及ぶ。
周りを深い谷に囲まれた白糸台地は水に乏しく田んぼの水はもちろん飲み水も足りないような状態でした。
このような人々の苦しむ姿を見かねた布田保之助は6キロメートル 離れた笹原川から水を引き連通管の原理を利用した通潤橋を完成、この工事の完成により白糸台地に100ヘクタールの水田が開けました。(以上は、現地案内板等を参照の上、記載)
「水の郷百選」「日本の音風景百選」
通潤橋の長さ 75.6m
橋の幅 6.3m
橋の高さ 20.2m
石管の長さ 126.9m
いち早く、復旧して、かつてのような活気を取り戻して欲しいです。
関連リンク(外部)
➡ 国指定重要文化財「通潤橋」の被災状況と復旧工事の見通しについて(山都町公式サイト内)
➡ 国指定重要文化財「通潤橋」復興事業支援金の募集について(山都町公式サイト内)
当サイト内関連ページ
➡ 過去の熊本地震関連ブログ記事
➡ 通潤橋
− 熊本地震から一年 熊本県山都町 通潤橋(つうじゅんきょう) −