日々ブログ MORIMORI @宮崎県

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リニューアルした「青島屋」外観|青島「鴨就く島」の由縁は「記紀」から?

Posted morimori / 2017.08.25 Friday / 23:04


「2017 夏・青島シリーズ」三部作 第二弾。

先月、青島参道入り口にある、「青島屋」リニューアルオープンの話題を書きましたが、その「青島屋」の外観写真です。

青島屋
〜 青島屋 外観 参道・県道側 〜


青島屋 宮交ボタニックガーデン青島側
〜 青島屋 外観 宮交ボタニックガーデン青島側 〜


ネーミングライツの賜物?でしょうか、宮交ボタニックガーデン青島側は、「垣根」を感じさせず一体化、いい感じになっておりました。
この時期、暑いのでオープンテラスの方には人影もありませんでしたが、少し涼しくなれば、外で広大なガーデンを眺めながらーなんてのも良さそうです。

参道・県道側には、のれんなどに「鴨就く島」の文字やロゴが掲げられておりました。

青島屋 鴨就く島ロゴ
〜 青島屋 鴨就く島ロゴ 〜


「鴨就く島」が、かつての「青島」の呼称であることを、はたしてどれだけの観光客の方・県民の方がご存じだろう?と、まず思いました。

単なる私の想像ですが、おそらく数%位、いや、それ以下かも知れない。

青島屋 鴨就く島ロゴ
〜 青島屋 鴨就く島ロゴ 〜


「青島屋」の公式サイトに、「鴨就く島」の説明があれば、それを引用させていただこうと思い、早速「青島屋」をGoogleで検索してみた。

1番目に以下のページが表示された。
http://www.s-and-r.jp/shop_r4.html

このページ、青島屋のリニューアル前の内容のようだ・・

青島屋の運営元、宮交ショップアンドレストラン株式会社のサイト内のページ 
http://s-and-r.jp/shop_r.html
の「青島屋」も「改装中」のままのようです。

企業として、インターネット(ウェブサイト)でのインフォメーション/PRに全く力を入れてないのかも知れませんが、「おもてなし」という観点からすると、こういった未更新の状態はどうなのでしょう。
twitter・facebook等に代表されるSNSではなく、検索ですぐに情報を見つけることの出来る、ウェブサイトでの情報発信も必要かと思います。

と・・余談が長くなりましたが・・ 後半「鴨就く島」のことについてです。
 



「青島」の周りでは多くの鴨が浮かんで羽を休めていた。

かつて、青島の周りの海では多くの鴨が浮かんで羽を休めていたことから、鴨就島(かもつくしま)と呼ばれたようですが、記紀(古事記・日本書記)の、日向神話も深く関係しているのではないでしょうか。

青島神社
青島神社


青島に鎮座する「青島神社」の御祭神は、ヒコホホデミノミコト(=山幸彦)、青島神社神門の扁額に「日向國青島総鎮守 鴨就宮」と記されています。
青島神社は、明治時代初期まで、「青島鴨就宮(あをしまのかもつくみや)」と称していたとの事です。

青島神宮 扁額 
〜 青島神社の扁額"鴨就宮" 〜


海幸彦(ウミサチヒコ)と山幸彦(ヤマサチヒコ)

青島神社と、海幸山幸の神話は深く関連しているので、ご紹介します。

記紀(古事記・日本書紀)では、表記が異なります。 (この項目では古事記に準じ書きます。)

  • 海幸彦 → 古事記:火照命(ホデリ)  日本書紀:火明命(ホアカリ) (第一王子)
  • 山幸彦 → 古事記:火遠理命(ホオリ) 日本書紀:彦火火出見尊(ヒコホホデミ) (第三王子)


火照命(ホデリノミコト)= 海幸彦は漁師として海のさまざまな魚をとり、火遠理命(ホオリノミコト)= 山幸彦は、猟師として山にいる大小さまざまな獣をとっていました。
あるとき、山幸彦は兄の海幸彦に互いの道具の交換して使ってみようと提案、海幸彦は三度断わりましたが、少しの間だけ交換することにした。山幸彦は兄の釣針で魚を釣ろうとしたが1匹も釣れず、しかもその釣針を海の中になくしてしまいました。兄の海幸彦も獲物をとることができず、「山の獲物も海の獲物も、それぞれ自分の道具でなくては得られない」と言って、自分の道具を返してもらおうとしました。山幸彦が釣針をなくしたと告げると、海幸彦は無理やりに返せと責め立てました。山幸彦は自分の十拳劔から1000の釣針を作り償おうとしましたが、海幸彦は「やはり元の釣針を返せ」と、受け取りませんでした。

山幸彦が海辺で泣き悲しんでいると、塩椎神(しおつちのかみ。潮流の神)がやって来た。山幸彦が事情を話すと、塩椎神は早速竹を隙間無く編んだ小船を造り、山幸彦を乗せ、綿津見神(海神・わたつみ)の宮殿へ行くように言いました。


山幸彦が綿津見神の宮殿へ行き、桂の木に登っていると、そこに、海神の娘の豊玉毘売(トヨタマビメ)の侍女が水を汲みに外に出て来ました。(右写真参照)
山幸彦が水を求めたので、侍女が水を器に入れて差し出すと、山幸彦は水を飲まずに首にかけていた玉を口に含んでその器に吐き入れた。すると玉が器にくっついて侍女は玉をはずすことが出来なくなりました。侍女は玉のついたままの器を豊玉毘売(トヨタマビメ)に差し上げて、事情を話しました。

不思議に思って外に出た豊玉毘売(トヨタマビメ)は、山幸彦を見て一目惚れした。父である海神も外に出て、そこにいるのが天孫邇々芸命(ニニギノミコト)の子の山幸彦=火遠理命(ホオリノミコト)であると言い、すぐに豊玉毘売(トヨタマビメ)と結婚させた。こうして、海神の元で三年間暮した。

三年経ち、山幸彦は最初にここへ来た理由を思い出し、深いため息をつきました。海神がため息の理由を問うたので、事情を話しました。

それを聞いた海神は、海の魚たちをことごとく集め、釣針を持っている者はいないかと問うと、赤鯛の喉に骨がひかかり物を食べることが出来ないと悩みを訴えていることがわかり、海神がのどを探ったところ、釣針が見つかりました。海神は釣針と鹽盈珠(しおみちのたま)・鹽乾珠(しおひのたま)を山幸彦に差し出し、「この釣針を兄に返す時には、『この釣針は、憂鬱になる釣針、気がいらいらする釣針、貧しくなる釣針、愚かなる釣針』と唱えて、手を後に回して渡しなさい。兄が高い土地に田を作ったらあなたは低い土地に、兄が低い土地に田を作ったらあなたは高い土地に田を作りなさい。兄が攻めて来たら鹽盈珠で溺れさせ、苦しんで許しを請うてきたら鹽乾珠で命を助けなさい」と言った。そして和邇(わに/鮫のこと)に乗せて送って差し上げた。

山幸彦は海神に言われた通りに、兄に釣針を返し、言われた通りに田を作った。海神が水を掌っているので、海幸彦の田には水が行き渡らず、海幸彦は貧しくなっていった。さらに海幸彦が荒々しい心を起こして攻めて来た。すると山幸彦は塩盈珠を出して溺れさせ、海幸彦が苦しんで許うと、塩乾珠を出して救った。これを繰り返して悩み苦しませると海幸彦は頭を下げて、山幸彦を昼夜お守りすると言った。

綿津見神の宮(海神国)で山幸彦と結婚し、身ごもった豊玉毘売(トヨタマビメ)は、天孫の御子を海原で生むことは出来ないと考え、夫のいる陸にやってきました。
山幸彦豊玉毘売(トヨタマビメ)のために浜辺に産屋を作ろうとしたが、茅草がわりの鵜の羽を葺き終えないうちに産気づいたため、産屋に入った。豊玉毘売(トヨタマビメ)は、「他国の者は子を産む時には本来の姿になる。私も本来の姿で産もうと思うので、絶対に産屋の中を見ないように」と山幸彦に言う。

しかし、山幸彦はその言葉を不思議に思い産屋の中を覗いてしまう。そこに豊玉毘売(トヨタマビメ)が姿を変えた八尋和邇(やひろわに)が腹をつけて蛇のごとくうねっているのを見て恐れて逃げ出した。

豊玉毘売(トヨタマビメ)は火遠理命に覗かれたことを恥じて、生まれた子を置いて海に帰ってしまいます。
鵜の羽で屋根を葺き終わらないうちにお産まれになったお子は、鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)と名づけられました。

しかしその後、火遠理命(ホオオリノミコト)が覗いたことを恨みながらも、豊玉毘売(トヨタマビメ)は、残してきたわが子が気になり、御子を養育するために妹の 玉依毘売(タマヨリビメ)を遣わし、託した歌を差し上げ、互いに歌を詠み交わしました。

この時の 古事記の歌碑が、青島神社参道にあります。 

豊玉毘売(トヨタマビメ)
赤玉は 緒(お)さへ光れど 白玉の 君が装(よそひ)し 貴くありけり
 「赤い玉は、それをつらぬく賭さえ光り輝き美しい。けれども、白い玉のように輝いていたあなたの貴いお姿も忘れられません」

 と、和歌を寄せられたのに対し、火遠理命(ホオリノミコト)は、こう返歌した。

沖つ鳥 鴨(かも)どく島に わが率寝(るね)し 妹(いも)は忘れじ 世のことごとに
「私が生きている限り、沖のカモメが寄り集う、あの遠い海神の宮殿で仲よく暮らした恋しい妻を、どうして忘れることができようか」

  カッコ内現代語は 古事記と日本の神々がわかる本 吉田邦博著 より   




青島の朝日


上記は古事記ですが、日本書記でも以下のように記されております。

日本書紀神代下>第十段一書(三)−5
沖つ鳥鴨着く島に我が率寝し妹は忘らじ世のことごとも


※ 豊玉毘売(トヨタマビメ)の出産あたりから、舞台は、青島から日南市の鵜戸(鵜戸神宮)も関連し、お乳岩などの伝承が残ります。

※ 玉依毘売(タマヨリビメ)は後に鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)の妻となって、五瀬命(イツセ)、稲飯命(イナヒ)、御毛沼命(ミケヌ)、若御毛沼命(ワカミケヌ)を産んだ。末子の若御毛沼命が、神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイワレヒコノミコ、後の神武天皇)となる。

長々と書きましたが、これらの神話・伝承を知った上で、青島神社、鵜戸神宮などを訪ねると、より、興味深いものとなるのではないかと思い記載。
 
 


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