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西都市「記紀の道」逢初川、無戸室跡、児湯の池、石貫神社

Posted morimori / 2017.11.22 Wednesday / 23:33


連日の、西都市シリーズ、今回は、記紀の道で撮影した写真。

「記紀の道」とは

「記紀」は日本で最古の文献といわれる古事記(712年)と日本書紀(720年)のことですが、その記紀に書かれている日向神話に登場するニニギノミコトとコノハナサクヤヒメにまつわる伝承地をひとつのルート(都萬神社より西都原古墳群まで)結んだものを観光ルート「記紀の道」として位置づけたものです。

ルート途中には駐車場等はありません、歩いて散策という感じのルートです。(片道約4Kmです。)

記紀の道概略コース
都萬神社】〜5分(230m)〜【御舟塚】〜20分(1,060m)〜【逢初川】〜1分(40m)〜【八尋殿の跡】〜7分(380m)〜【無戸室跡】〜1分(80m)〜【児湯の池】〜7分(320m)〜【石貫神社】〜10分(330m)〜【大山祇陵】〜16分(880m)〜【鬼の窟】〜11分(500m)〜【男狭穂塚・女狭穂塚

逢初川、無戸室跡、児湯の池、石貫神社の写真

今回、記紀の道の立ち寄りスポットより、4ヶ所の写真を掲載。
その他のスポット他、詳しくは、下記ページをご覧ください。
 記紀の道



逢初川(あいそめがわ)

高千穂峰に降りられた天孫ニニギノミコトはこの地に移り住まわれますが、ある日 散歩の途中この小川で水くみをしていたコノハナサクヤヒメを見初められ、結婚の申し込みをされた場所だと伝えられています。

西都市「記紀の道」逢初川(あいそめがわ)
〜 西都市「記紀の道」逢初川(あいそめがわ) 〜


無戸室(うつむろ)

ニニギノミコトはコノハナサクヤ姫と結婚、一夜明けると土賊征伐にお出かけになり数ヶ月してお帰りになると、姫はすでに身ごもっておりました。コノハナノサクヤヒメが一夜の契りで妊娠したことを知ったニニギノミコトは「国つ神の子ではないのか」と疑う。コノハナノサクヤヒメは、身の潔白の証として出入り口のない産室を作らせて火を放ち、「ミコトの子ならば無事に生まれましょう」とそこへ入り、ホオリノミコト(山幸彦)、ホデリノミコト(海幸彦)、ホスセリノミコトの三皇子(おうじ)を産んだ。 無戸室(うつむろ)は地元では火柱殿(ひじゅどん)ともいわれているそうです。
大きなクスの木も見ごたえあります。

西都市「記紀の道」無戸室跡
〜 西都市「記紀の道」無戸室跡 〜



児湯(こゆ)の池

西都原台地でしみこんだ雨水が泉としてこの児湯の池に湧きだしています。
無戸室で生まれたホオリノミコト(山幸彦)、ホデリノミコト(海幸彦)、ホスセリノミコトの産湯を汲んだ池。
この「児湯」が現在の児湯郡の地名にもなっています。

西都市「記紀の道」児湯の池
〜 西都市「記紀の道」児湯の池 〜


石貫(いしぬき)神社

コノハナノサクヤヒメの父、オオヤマツミ(大山積神、大山津見神、大山祇神)を祭る。

西都市「記紀の道」石貫神社
〜 西都市「記紀の道」石貫神社 〜


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