西郷隆盛 銅像の写真
Posted morimori / 2018.01.05 Friday / 23:55
日曜より、NHK大河ドラマ「西郷どん」が始まりますね。
「脚本」がどんな感じになっているのかも楽しみです。
今日より西郷隆盛関連写真をいくつか、ご紹介。
この西郷隆盛銅像は昭和2年、西郷没後50年を迎えたとき建立の話がもちあがり、鹿児島出身の彫刻家安藤照が制作にあたり、昭和12年(1937年)5月に完成したもの。(安藤照は渋谷の忠犬ハチ公像の作者でもある。)
陸軍大将の盛装姿は明治6年(1873年)近衛兵の習志野演習(千葉県)で、雨中に明治天皇のテントを終夜警衛した西郷の姿を念頭に制作したといわれている。/「鹿児島県の歴史散歩」等を参照
西郷隆盛は幕末維新の指導者で、明治天皇の信頼が厚く日本最初の近衛(このえ)都督陸軍大将になりました。
文政10年(1827年)下加治屋町郷中に生まれた西郷は、幼少を小吉(こきち)通称を吉之助といい南州と号しました。
青年時代に二才頭として農政に関する意見書を提出、藩主島津斉彬(なりあきら)の目にとまり、側近に抜擢され、国事への関心を高めました。ところがその斉彬が急死。
勤皇僧月照と錦江湾に投身、一人生き残って大島に流されました。
その後、大久保利通らの助けで幕府を倒す運動に復帰。
藩論を指導し、薩長連合を結んで、王政復古の大号令を決行。
東征大総督府参謀として江戸無血開城を実現しました。
新政府が樹立した後は、参議として廃藩置県を断行。
岩倉具視(いわくらともみ)、木戸孝允(きどたかよし)らが外遊中の政府を預かりました。
明治6年(1873年)遣韓使節をめぐる政争に敗れて東京から鹿児島に帰った後は、私学校を開き後進の指導にあいありましたが、彼らの血気に押され、ついに西南戦争へと突入。
明治10年(1877年)西郷は城山で自刃しました。
この銅像は、郷土出身の彫刻家、安藤照が習志野大演習で陸軍大将の制服を身につけた西郷の姿を思い描き製作したものです。(現地案内板より)
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