日々ブログ MORIMORI @宮崎県

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鹿児島市 城山公園から見た桜島の日の出|西郷隆盛 洞窟

Posted morimori / 2018.01.07 Sunday / 23:40


城山の標高は123.4m、城山公園として整備されており、自動車でも登ることも出来る。
鹿児島市内で鹿児島湾、や桜島を望む絶好のポジションにあり、夜景ポイントとして人気もある。

西南戦争最後の戦地となり、周辺には、西郷軍司令部の置かれた洞窟(通称「西郷洞窟」)、西郷隆盛終焉の地など西南戦争関連の史跡が残っている。

城山から見た桜島のご来光

上の写真は9月中旬頃の日の出位置です。
元旦頃の日の出位置はかなり右側になると思います。

城山現地案内板を撮影
〜 城山現地案内板を撮影 〜
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鹿児島本線 トンネル 敬天愛人の石碑?扁額?

Posted morimori / 2018.01.06 Saturday / 23:15


鹿児島本線 トンネルの 敬天愛人の石碑?扁額?
〜 鹿児島本線 トンネルの 敬天愛人の石碑?扁額"  〜


城山の付近を歩いていると、鹿児島本線の城山トンネルの北側付近の道路に「敬天愛人の石碑」と書かれた案内板がありました。

「敬天愛人」は、西郷隆盛の名言

石碑? 探せど見つからない、あるのは、トンネル上に「敬天愛人」と書かれた扁額のようなもの。
これが、その石碑なのかも知れない。

鹿児島本線 トンネルの 敬天愛人の石碑?扁額?
〜 鹿児島本線 トンネルの 敬天愛人の石碑?扁額"  〜



敬天愛人 「南洲翁遺訓」より

「 道は天地自然の物にして、人は之を行ふものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給ふゆゑ、我を愛する心を以て人を愛する也。」

(現代訳)

「道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。」
 
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西郷隆盛 銅像の写真

Posted morimori / 2018.01.05 Friday / 23:55


日曜より、NHK大河ドラマ「西郷どん」が始まりますね。
「脚本」がどんな感じになっているのかも楽しみです。

今日より西郷隆盛関連写真をいくつか、ご紹介。

西郷隆盛銅像 

この西郷隆盛銅像は昭和2年、西郷没後50年を迎えたとき建立の話がもちあがり、鹿児島出身の彫刻家安藤照が制作にあたり、昭和12年(1937年)5月に完成したもの。(安藤照は渋谷の忠犬ハチ公像の作者でもある。)
陸軍大将の盛装姿は明治6年(1873年)近衛兵の習志野演習(千葉県)で、雨中に明治天皇のテントを終夜警衛した西郷の姿を念頭に制作したといわれている。/「鹿児島県の歴史散歩」等を参照


西郷隆盛は幕末維新の指導者で、明治天皇の信頼が厚く日本最初の近衛(このえ)都督陸軍大将になりました。
文政10年(1827年)下加治屋町郷中に生まれた西郷は、幼少を小吉(こきち)通称を吉之助といい南州と号しました。
青年時代に二才頭として農政に関する意見書を提出、藩主島津斉彬(なりあきら)の目にとまり、側近に抜擢され、国事への関心を高めました。ところがその斉彬が急死。
勤皇僧月照と錦江湾に投身、一人生き残って大島に流されました。
その後、大久保利通らの助けで幕府を倒す運動に復帰。
藩論を指導し、薩長連合を結んで、王政復古の大号令を決行。
東征大総督府参謀として江戸無血開城を実現しました。
新政府が樹立した後は、参議として廃藩置県を断行。
岩倉具視(いわくらともみ)、木戸孝允(きどたかよし)らが外遊中の政府を預かりました。
明治6年(1873年)遣韓使節をめぐる政争に敗れて東京から鹿児島に帰った後は、私学校を開き後進の指導にあいありましたが、彼らの血気に押され、ついに西南戦争へと突入。
明治10年(1877年)西郷は城山で自刃しました。

この銅像は、郷土出身の彫刻家、安藤照が習志野大演習で陸軍大将の制服を身につけた西郷の姿を思い描き製作したものです。(現地案内板より)
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NHK大河ドラマ「西郷どん」関連 西郷隆盛宿陣跡 資料館

Posted morimori / 2017.10.19 Thursday / 23:35


来年の NHK大河ドラマは「西郷どん」です。

宮崎県にもいくつか、西郷隆盛ゆかりの地があります。
その代表的な一つが、延岡市にある「西郷隆盛宿陣跡 資料館 (西郷南洲翁寓居跡)」です。

※掲載した写真は昨年9月に撮ったものです。その後、リニューアルされておりますので、展示物等、異なる部分もあろうかと思われます。
下記写真、現在は手前の部屋の額などもすべて取り払われていると思います。
私的には、これはこれで、昔の家の雰囲気あって、良いと思うのですが・・。
再現しているシーンに、西郷さんの写真額があるっつうのは、変と言えば変ですけどね(笑)

西郷隆盛宿陣跡 資料館

南洲翁寓居跡(旧児玉熊四郎宅)

南洲翁寓居跡(旧児玉熊四郎宅)は、西南の役 最後となる延岡、和田越の決戦に敗れた西郷隆盛が明治10年8月15日から17日の夜の可愛嶽突破(明治10年8月17日午後10時)まで宿陣したところで、ここで解散布告を出し、最後の軍議を重ねており重要書類や当時日本で唯一つしかなかった陸軍大将の軍服も焼いたとされています
昭和8年12月5日に史跡として県指定を受けている。

西郷隆盛宿陣跡 資料館

資料館には当時西郷隆盛が愛用した硯・舟型枕などの遺品の他、西郷隆盛の軍服のレプリカ他、種々の資料が展示されております。

昨年行きました際は、有料(大人200円)でしたが、公営施設は博物館法で無料が原則であることや大河ドラマに採り上げられることを理由に無料化を決めたようで、今年の5月より無料となっております。

休みは、末年始のみです。
 
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NHK大河ドラマ 西郷どん ロケ地 龍門司坂(たつもんじざが)|鹿児島県姶良市

Posted morimori / 2017.09.13 Wednesday / 18:09


龍門司坂
〜 龍門司坂 〜

西郷隆盛、坂本龍馬らも往来・・龍門司坂

 鹿児島県姶良市「竜門司坂」をご紹介します。
国指定史跡、文化庁歴史の道百選に指定されています。

NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」、「篤姫」、「龍馬伝」そして来年放送予定の「西郷どん」でもロケ地となっております。

翔ぶが如く(1990年)西郷隆盛役:西田敏行 
篤姫(2008年)西郷隆盛役:小澤征悦
龍馬伝(2010年)西郷隆盛役:高橋克実
西郷どん(2018年)西郷隆盛役:鈴木亮平

「竜門司坂」は、幕末から明治頃の歴史的資産が色濃く残され、構造物(周囲に電柱とか電線)の無い、普段あまり人も来ない場所ってっことで、こういった大河ドラマロケスポットとして定着しているのでしょうね。

箱根あたりでも、それなりにこういった場面でのロケは出来そうですが、やはり、大河ドラマあたりになると、現地でロケしないとね。
 

古文書「加治木老物語」によると、龍門司坂は寛永12年(1635年)に造られました。
大名行列や物資の搬出などに使われ、江戸と薩摩を結ぶ重要な街道でした。
この坂道は粘土質で滑るうえ、風雨による決壊がひどかった為、元文6年(1741年)加治木領主島津久門の時代に、木田村樋ノ迫の石材を切り出し、街道に石が敷かれました。

龍門司坂
〜 龍門司坂 〜


杉木立と木洩れ日、そして苔むした石畳の風情が美しい坂道で、石畳敷きの平均幅は約4m、最大幅は7mあり、全長は1500mと考えられていますが、集落内にある両端部は舗装されており、現在は山間部の486.8mが当時の状態で見る事が出来ます。

明治10年(1877年)2月、西南戦争では大勢の見送りの人々に送られて、総勢6千名とも言われる薩摩兵士がこの坂道を登って熊本方面を目指しており、別府普介に率いられた6番(加治木隊)、7番大隊は大口筋を通って佐敷(熊本県芦北町)へ、西郷隆盛率いる本営は加久籐越えから人吉へ向かっています。
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西郷隆盛宿陣跡資料館(西郷南洲翁寓居跡)に林真理子先生の写真

Posted morimori / 2016.09.28 Wednesday / 06:40


西郷隆盛宿陣跡資料館(西郷南洲翁寓居跡)説明板
〜 西郷隆盛宿陣跡資料館(西郷南洲翁寓居跡)説明板 〜


宮崎県延岡市北川町に「西郷隆盛宿陣跡(西郷南洲翁寓居跡)・資料館」があります。
東九州道のPA的役割も果たす「道の駅北川はゆま」から3Km程国道を南下したところにあります。

県指定史跡「南洲翁寓居跡 (なんしゅうおうぐうきょあと) 」

「西郷隆盛宿陣跡(西郷南洲翁寓居跡)・資料館」は、明治10年、西南の役での「和田越合戦」に敗れた西郷隆盛が本陣とした民家を資料館として保存しているもので、 昭和8年「南洲翁寓居跡」として宮崎県の史跡に指定されております。

西郷隆盛宿陣跡(西郷南洲翁寓居跡)展示物
〜 西郷隆盛宿陣跡(西郷南洲翁寓居跡)展示物 〜

宮崎県デジタルミュージーアムより引用
明治10(1877)年、薩摩藩と政府軍が激突した西南戦争では、宮崎県も戦場となっていった。熊本から退いた薩摩軍は、宮崎に入り小林から宮崎、延岡へと移り、8月15日に延岡の和田越で政府軍に敗れた。
西郷隆盛は、戦いの後、北川村(現北川町)俵野(ひょうの)の児玉家旧宅に身を寄せた。
ここで、会議を開き薩摩軍解散の命を発し、九州山地突破を敢行して鹿児島へ辿りついた。
この薩摩軍解散の命を発した児玉家旧宅は、現在西郷隆盛宿陣跡(しゅくじんあと)資料館として西郷の遺品などを展示してある。


2018年のNHK大河ドラマは、林真理子さん原作「西郷どん」

再来年のNHK大河ドラマは、「西郷(せご)どん」(原作:林真理子)が予定されております。
  以前書いた記事

宮崎県にとって、このような、西郷隆盛に関する史跡を全国に情報発信する、大きな大きなチャンスだと思います。
番組最後の「ゆかりの地紹介」で、紹介していただけるよう、NHKにも働きかけて頂きたいものです。
 

原作本「西郷どん」/ 林真理子 ネット通販amazon・楽天で探せど…

「西郷どん」興味があったので読もうと、amazon、楽天BOOK等で検索すれど見つからない・・・
ネット検索で調べると、大河ドラマの原作として選ばれた「西郷どん」は雑誌「本の旅人」(KADOKAWA)連載中の作品で、まだ単行本や文庫本としての販売は無いようです。
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2018年のNHK大河ドラマは西郷隆盛「西郷どん(せごどん)」

Posted morimori / 2016.09.08 Thursday / 07:20


【 11/2 追記 】
2018年のNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」の主演は、「鈴木亮平」に内定したようです。


西郷隆盛像
再来年(2018年)の大河ドラマは西郷隆盛の生涯を描く「西郷(せご)どん」に決まったようです。
2018年は、明治元年(1868年)から150年の節目ということもあり企画されたとか。

 原作:林真理子
 脚本:中園ミホ

主役は公式未発表
ネットでは、堤真一さんという噂も目にしましたが・・。
自分の抱く西郷さんのイメージ的には少し細いかなぁ〜という印象です。

最近のNHK大河ドラマでは、西郷隆盛を

「新選組!」では 宇梶剛士さん
「篤姫」では 小澤征悦さん
「龍馬伝」では 高橋克実さん
「八重の桜」では 吉川晃司さん
「花燃ゆ」では 宅間孝行さんが演じてらっしゃります。

登場回数も多いこともありますが、「篤姫」の小澤征悦さんが印象深いですね。
「篤姫」は毎回楽しみに見た大河ドラマでした。
脚本:田渕久美子さんの勝利!!脚本家次第だよなーと感じたものでした。

今度の「西郷(せご)どん」の脚本は、報道によると、
ドラマ「ハケンの品格」や連続テレビ小説「花子とアン」などを手掛けた、中園ミホさんとか・・ 

これらのドラマは見たことないので、知りませんが(^^;)

脚本次第だろうなーー 
また幕末ですかぁ・・という感もありますからね。

ともあれ、楽しみです。
ゆかりの地、ロケ地の観光が、これでさらに浮揚することを願ってます。

龍門司坂(たつもんじざか)

龍門司坂明治10年(1877年)2月、西南戦争では大勢の見送りの人々に送られて、総勢6千名とも言われる薩摩兵士がこの坂道を登って熊本方面を目指しており、西郷隆盛率いる本営は加久籐越えから人吉へ向かっています。
平成元年と二年にはNHKドラマ「跳ぶが如く」の撮影も行われました。

「篤姫」「龍馬伝」でもロケが行われておりますので、次回「西郷隆盛」でも当確?
コンクリートや、電柱等人工物が映らないし、こけむした歴史ある石畳の坂道は雰囲気もあり、ロケには最適なのでしょう。
 
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日本のひなた宮崎県
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