鹿児島市 城山公園から見た桜島の日の出|西郷隆盛 洞窟
Posted morimori / 2018.01.07 Sunday / 23:40
城山の標高は123.4m、城山公園として整備されており、自動車でも登ることも出来る。
鹿児島市内で鹿児島湾、や桜島を望む絶好のポジションにあり、夜景ポイントとして人気もある。
西南戦争最後の戦地となり、周辺には、西郷軍司令部の置かれた洞窟(通称「西郷洞窟」)、西郷隆盛終焉の地など西南戦争関連の史跡が残っている。
上の写真は9月中旬頃の日の出位置です。
元旦頃の日の出位置はかなり右側になると思います。
〜 城山現地案内板を撮影 〜
西郷隆盛 洞窟 西南戦争 最後の司令部
〜 西郷隆盛 洞窟 西南戦争 最後の司令部 〜
西郷隆盛 洞窟「おはんらにやった命」西南戦争 最後の司令部
1877年(明治10)9月24日、午前4時政府軍の城山総攻撃が始まりました。城山に立てこもる薩軍兵士は、わずか300余。これを囲む政府軍は、何重もの柵をめぐらし、その数4万。死を決した西郷は、夜明けを待って、5日間すごしたこの洞窟を出ました。桐野利秋、別府晋介、村田新八、池上四郎 といった私学校の幹部たちも一緒です。この日の西郷の出立ちは妻のイトが縫った縞の単衣に白い兵児帯。ゆっくりと岩崎谷を下ります。その時流弾が西郷の腰に命中。別府の介錯をあおいで49歳の生涯を閉じたのです。
西南戦争 というのは、不平士族の反乱のあいつぐ中、西郷を慕う私学校の生徒たちが、政府の挑発によって引き起こした暴動が始まりです。首謀者の引き渡しか全面戦争か、その結論を出したのは「おはんらにやった命」という西郷の一言でした。2月15日、ついに挙兵。熊本で政府軍と激しい攻防をくりかえすも、近代兵器の前に敗退。7ヶ月にわたる大乱の最後を、西郷は故山城山で迎えたのです。(現地案内板より)
〜 西郷隆盛 洞窟 西南戦争 最後の司令部 〜
〜 西郷隆盛 洞窟 西南戦争 最後の司令部 〜
〜 西郷隆盛 洞窟 西南戦争 最後の司令部 〜
城山の薩軍陣地跡 (薩軍は強固な堡塁をめぐらせた)
(城山 現地案内板を撮影)
(城山 現地案内板を撮影)
「西郷どん」第1回目の放送日でしたね。
「跳ぶが如く」で西郷隆盛を演じた西田敏行のナレーション
松坂慶子・風間杜夫・平田満のキャスティングは「鎌田行進曲」ですね、意図的?
などなど、結構面白い初回でした。
女装は・・?でしたが、
最近の大河のオープニングは、CGを駆使したものが多かった気がしますが、今回は実写中心、CGでもそれを感じさせない作りは、かえって新鮮に感じました。
韓国岳、高千穂峰、大浪池、雄川の滝・・
本編で出ていた桜島の噴煙などはCGでしょうね。
(一部CGで大正噴火前の姿を再現しているとか・・)
第一話、「つかみ」としては、良かったのでは?と私は思いました。
次週からが本番という感じでしょうか。
【 翌日追記 】西郷どんの初回放送を祝うかの如く?「桜島」が1月08日3時59分に久々噴火したようで、翌日、宮崎市内でも車が火山灰で汚れておりました。
視聴率ワースト二位、一方、鹿児島では高視聴率34.9%
ビデオリサーチの調べによると、西郷どんの関東地区の平均視聴率は15.4%(関西地区19.8%)で、1989年の「春日局」の初回14.3%に次ぐ、ワースト二位の記録とか。
西郷さん自体、ビジュアル的にも(女性の方に)好まれるタイプじゃないだろうし、あとは、テレビ離れもあるんだろうね。
まだまだ始まったばかり、兎にも角にも脚本次第かと 大河の面白さは。
鹿児島では・・ビデオリサーチ調べによると 34.9%だったとか。
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