日々ブログ MORIMORI @宮崎県

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師走祭り 1日目迎え火 宮崎県美郷町南郷区

Posted morimori / 2018.01.26 Friday / 23:18


先日、「師走祭」のことを紹介しましたが(その時の記事)、翌日、諸塚村に神楽の見学を予定していたので、師走祭りの迎え火だけ撮影に行くことにしました。

「師走祭」の、大まかなあらすじを書くと・・
「師走祭り」は、西暦660年、朝鮮半島の百済が、唐と新羅(しらぎ)の連合軍に攻め滅ぼされ、663年百済再興の戦いにも破れ、多くの王族、部族は日本の畿内へと亡命。
その後、7世紀から8世紀中に日本に頻発した政治事件によって、現在の美郷町と木城町に百済の王族が亡命した。という伝説を基に構成された祭り。

 百済の王族であった父親の禎嘉王(ていかおう)は現在の日向市の金ヶ浜(かねがはま)に漂着、美郷町南郷区神門に。
息子の福智王(ふくちおう)は現在の高鍋町の蚊口浦(かぐちうら)に漂着、木城町に住んだ。
亡くなったのち、それぞれが神として、美郷町の神門神社、木城町の比木神社に祀られたと云う。

祭りは木城町の比木神社に祭られている王子・福智王のご神体が、父・禎嘉(ていか)王を祭る美郷町の神門神社まで、年に一度巡行面会に来るというもの。

この祭りがいつの時代から始められたのか、詳しいことはわかっていないようですが、江戸後期の『筑紫日記』や『高千穂採薬記』には記載されており、すでにそのころには行われていたようです。

師走祭のハイライトは、一日目、金曜日に行われる、高さ10mm、約30基の櫓が燃え盛る「迎え火」ではないでしょうか。
一行は、燃え盛る「迎え火」の中を通り、神門神社へ向かいます。

師走祭り 迎え火 1
〜 師走祭り 迎え火  〜


師走祭り 迎え火 2
〜 師走祭り 迎え火  〜



師走祭り 迎え火 4
〜 師走祭り 迎え火  〜



今回、行列を近くで見ましたが、櫓に入れてある竹の裂ける爆音、火の粉が降り注いだりと、遠くで見るのとはまた違った体験でした。(火の粉対策で、帽子は必要、薄い化繊系の上着は穴か開く可能性がありますので注意)

時間的には、30分程度でしょうか・・
迎え火の後、田んぼでは、あちこちで直会(飲み会?)が行われておりました。

師走祭り 迎え火 5
〜 師走祭り 迎え火  〜


師走祭り 迎え火 6
〜 師走祭り 迎え火  〜


師走祭り 迎え火 7
〜 師走祭り 迎え火  〜


迎え火の後、神門神社の方から太鼓の音がするので出向くと、二番目の鳥居の前で「比木神社」の神楽「一番神楽?」が奉納されておりました。
この日は一番だけ奉納、翌日、土曜の夜に18番の神楽が奉納されます。

師走祭り 神門(みかど)神社
〜 師走祭り 神門(みかど)神社  〜


師走祭り 神門神社での一番神楽(比木神社神楽) 
〜 師走祭り 神門神社での一番神楽(比木神社神楽)  〜


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