「椎葉村大いちょう展望台」(仙人の棚田展望台)
Posted morimori / 2018.05.13 Sunday / 09:58
【 5/19追記 】
仙人の棚田を紹介するWebPageを作成しましたのであわせてご覧ください。
➡ 仙人の棚田(椎葉村大いちょう展望台より)
「椎葉村大いちょう展望台」(仙人の棚田展望台)の紹介です。
〜 椎葉村 仙人の棚田・大いちょう展望台より 〜
「椎葉村大いちょう展望台」(仙人の棚田展望台)は、日本三大秘境 椎葉村ならではの、「日本の原風景」を眼下に見おろせる素晴らしいロケーションにあるのですが・・・
そこまでの道はとても狭く、急坂で辛い、車に出くわしたら数百メートル、いやそれ以上バックせねばならぬ、「これも三大秘境ならでは」と自分自身に言い聞かせつつ、チキンな野郎は、緊張でハンドル握る手汗だく、喉カラカラにしながら、車を走らせたのでした。
椎葉村 仙人の棚田・大いちょう展望台へは、国道327号線の旧道から約5K程?、村道(林道を簡易舗装しているといった感じの道路)を登ります。
ほぼ車一台分+α程度の狭い道が延々続きます、加えて途中には急勾配(帰りは1速ギアでエンブレを使うところも)、そして路面状態のあまりよくないところ、落石などもありますので注意しながら走ります。
対向車が来てもすれ違えるポイントは殆んどありません。車が来ないことを祈るのみです。
〜 椎葉村 仙人の棚田・大いちょう展望台への道 〜
車に出くわしたら、狭い急坂をバックしなければなりません。
急坂に曲がりが加わると、バックには、かなりのテクニックを要します、一度停止するともしかすると2WD車だとタイヤが空転するところもあるかも知れません。
ローダウン車、運転に不慣れな方は、おすすめしません。 そんな方には、タクシーで行った方もいらっしゃるようですので、問い合わせてみると良いかもしれません。
今回、地元の2トントラック一台、軽トラック一台とすれ違いましたが、たまたま運良く、すれ違うことが出来、ラッキーでした。
昔は、知る人ぞ知るところだったようですが、2015年秋にこの「大いちょう展望台」が完成、椎葉村のパンフレット、リーフレット、チラシなどで紹介されたり、インターネット上では、椎葉村や、観光系サイトなどでも紹介しているようです。
ただ、運転初心者の方が、慣れないレンタカーで知らずに向かったらと思うと・・・Uターン出来るところも少ないし・・心配です。
こういった、アクセス道であることを、告知しておくべきではないでしょうか。
それこそが「おもてなし」ではないかと思います。
〜 椎葉村 仙人の棚田・大いちょう展望台 〜
展望台まで20m程のところに駐車スペース(つめて3台分程)があり、ここに車を止め、歩いて行きます。
〜 椎葉村 仙人の棚田・大いちょう展望台 〜
〜 椎葉村 仙人の棚田・大いちょう展望台 〜
〜 椎葉村 仙人の棚田・大いちょう展望台 〜
看板には「大いちょう展望台」とありますが、松尾の大イチョウと近くにある松尾の庄屋家屋は、肉眼でやっと見える程度のものです。
上の写真は望遠レンズで撮ったものを切り出したもの
以下は、以前、松尾の大イチョウを見学に行った際、庄屋の案内板に書かれた内容を記録したもの。
「元和年間(1619年)那須三人衆の鷹巣山支配による豪族の反乱「椎葉山十三人衆の乱」を鎮定の後徳川幕府は、椎葉山中を幕府領として庄屋制度を設けて阿蘇大宮司に預けたが、明暦二年(1656年)辞退により人吉相良藩に預けた。
この時の掛庄屋は、松尾、大河内、下福良、不土野の4村に設けられた。ここが、松尾の掛庄屋跡で代々松岡家が受け継いできた。 当時の松尾村は、神門(南郷村)との関わりが深く駄賃付けにより交易が続けられてきたが、特に当松岡家では、一時50頭近くの馬を飼い、その名声は遠く富高(日向市)佐土原まで馳せていた。
また、明治41年(1908年)7月13日には、民俗学の祖であり「後狩詞記」を著した柳田国男が当家に投宿している。
なお、当家の大銀杏は、古くから広く知られ、笹峠を越えてここの大銀杏の葉の色を見れば、農耕の時期がわかると言われている。
平成10年11月12日
椎葉村教育委員会椎葉村観光協会
現実的には「仙人の棚田展望台」といった方が相応しい感じもします。
試しに、Googleで両者と椎葉村をあわせ、検索してみると
「大いちょう展望台」約 2,470 件
「仙人の棚田展望台」約 5,610 件
と、「仙人の棚田展望台」の方が一般的に認識されていることがうかがえます。
椎葉村 仙人の棚田・大いちょう展望台 案内板
〜 椎葉村 仙人の棚田・大いちょう展望台 案内板 〜
「椎葉村大いちょう展望台」現地案内板より一部引用
対岸に見える棚田の風景は、(天空に浮かんでいるように見え、まるで仙人が住んでいるかのように思われることから)「仙人の棚田」と呼ばれており、四季折々に違った景色を映し出してくれます。
春から夏にかけては青々しい若葉と新緑、秋には秋風になびく稲穂が黄金色に輝き、まさに日本の原風景とも言えます。
下松尾地区と「仙人の棚田」の歩み
下松尾地区は昔は水が乏しくその家も焼畑を生業としており生活にも困る尾根に位置していたため、近隣地区住民から「下松尾には嫁にやるな」と言われる地区でした。今から約150年前、その時代の庄屋と地域住民が一体となり約4kmにも及ぶ水路を開拓し、米の生産も可能になり、人々の生活も安定しました。地域住民と共に歩いて来た棚田は今では他に類を見ない風景を形成しています。関連リンク(外部リンク)
➡ Google Map(駐車空き地の位置)
➡ 大いちょう展望台(椎葉村観光協会公式)
➡ 宮崎県「仙人の棚田」 “椎葉のマチュピチュ”に脚光(2016.8.28 産経新聞記事)
当サイト内関連ページ
➡ 松尾の大イチョウ
下松尾地区の棚田を守り続ける稲作農家は14戸、水田は約150枚とのことです。
"椎葉のマチュピチュ"といった表現をされている方もいらっしゃいますが、私はこういった例えは使いたくないです。
日本の原風景に失礼かなぁ〜と思いまして。
− 「椎葉村大いちょう展望台」(仙人の棚田展望台) −