木城町 高城城址城山公園の桜
Posted morimori / 2021.03.30 Tuesday / 23:57
3月29日 木城町にある高城城址 城山公園を訪ねた。
ここは過去に2度程見学しましたが、桜の開花時期に来たのは初めて。
高城城址 城山公園の桜
高城は、木城町にあった城(山城)で、伊東四十八城の一つ。
戦国時代の高城川の戦い(耳川の戦い)の主戦場となった城。木城町指定文化財(史跡)
高城城址 城山公園は標高60mの高台にあり、高城(たかじょう)本丸のあった場所が公園となっており、城を模したメロディ時計台からは木城町の中心部を一望できます。
この高城城跡には本丸の建物等は現存していませんが、空堀や土塁が当時のまま残されており、過去2回の大戦 天正6年(1578年)大友と島津による高城川合戦、豊臣秀吉による九州征伐 天正15年(1587年)豊臣と島津による大激戦)でも落城しなかった「不落の山城」としての威容を保っています。
詳細は下段記載現地案板 / wikipadiaリンクを参照してください。
城を模したメロディ時計台
メロディ時計台内部
メロディ時計台内部より
メロディ時計台内部より
メロディ時計台内部より
高城城跡(町指定文化財)現地案内板
高城城跡は、小丸川とその支流である切原川に挟まれ、標高60mを数えます。
地形は、舌状に細長く伸びた台地であり、見晴らしには大変優れた所に営まれた山城であります。
この城では、天正6年(1578)、天正15年(1587)の二度に渡り、大合戦がありました。その当時、日向で勢力を誇っていた伊東氏が島津氏に負けて大分に逃げ、親類の大友氏を頼ります。大友氏はこの際、新興勢力の島津氏をつぶそうと約5万の大軍でこの城を攻撃しました。しかし高城城主山田新介有信はわずかな兵力でよく防ぎ、とうとう大友軍は大敗しました。これを高城川合戦と呼んでます。この合戦が原因で、今度は豊臣秀吉の弟、秀長率いる15万の大軍と合戦することになりますが、この時も新介はよく防ぎ、この城は落城しませんでした。
これらの戦いは、戦国時代の九州において最大規模の合戦であります。またこの高城は、その二度の戦いとも落城しなかった難攻不落の名城として、名将、山田新介有信の名と共に語り継がれています。
城としての特徴は、現在、城山公園として利用している箇所が東側の主部と考えられる曲輪(くるわ)と考えられています。ここでは島津氏の家臣であった城主、山田新介有信らが、戦いに備えるための本部として利用していたと考えられます。またこの城に敵が侵入するのを防ぐために、7箇所の竪堀(たてぼり)がみられるのが特徴です。当時の山城にはこういった自然地形を利用して、幾多の戦いを繰り広げております。
平成4年度には、木城町の城山公園整備事業におるメロディー時計台建設に伴い発掘調査が実施されました。その結果、竪穴状遺構、柱穴、石列などの遺構、土師器と言われる杯、皿、小皿、青磁器、白磁器、陶器などの遺物が確認されました。これらの遺物の時期は、戦いが繰り広げられた時期に該当し、当時の戦いの状況をより理解することができます。
平成15年2月10日 木城町教育委員会
高城新納院 wikipadiaリンク
高城(たかじょう)は、現在の宮崎県児湯郡木城町にあった日本の城(山城)。伊東四十八城の一つ。高城川の戦い(耳川の戦い)の主戦場となった城である。木城町指定文化財(史跡)・・・詳しくは ➡ 高城 (新納院)
※新納院は、宮崎県(旧日向国)中央東部、現在の児湯郡東部の都農町、木城町、川南町、高鍋町、新富町に、日向市東郷区と美郷町、南郷区・西郷区を加えた総称の旧名です。
九州オルレ「宮崎・小丸川コース」
駐車場から城跡へ方歩いていると、木の枝に青赤のリボン(オルレのコースの目印)が結びつけられておりました。帰宅後調べると九州オルレ「宮崎・小丸川コース」の通過点のようです。(認識不足でした。)「宮崎・小丸川コース」:比木神社 → 城山公園(3.4km) → 木城温泉館湯らら(0.8km) → 持田古墳群(5.9km) → 高鍋大師(0.7km) → 大年神社(2.6km) → 小丸川河口(0.9km)
木城町サイトに コース地図などの書かれたリーフレットがありました。
(新型コロナ感染防止の為、一時閉鎖(期限未定)の可能性もあります。)
余談ですが、高千穂町にも九州オルレ「高千穂コース」があり、以前、歩いた事がありますが、コース上での倒木や落石によりコース利用者の安全面の確保が困難となり、令和3年3月31日をもって閉鎖したようです。
おそらく、コロナで来訪者も減り、インパウンドも見込めなく、改修の予算が付かないのかも知れません。
この日は、黄砂とPM2.5で空はくすみ、視界が悪く、木城町内を見下ろした風景は、割愛しました。
高城城址 城山公園 地図リンク ➡ GoogleMap
次は、天正6年に行われた豊後(ぶんご)の大友氏(宗麟)と薩摩の島津氏(義久)との合戦の戦没者を供養した 宗麟原供養塔(国史跡)の紹介です。
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