えびの市 大河平つつじ (おこびらつつじ) 400年以上の歴史背景
Posted morimori / 2023.04.12 Wednesday / 23:37
【 追記 】2024年〔えびの市 大河平つつじ (おこびらつつじ) 〕開花情報
4月9日付 宮日新聞によると、大河平つつじが満開を迎えているようです。4月中旬まで楽しめそう・・とのこと。
えびの市 大河平地区にある、大河平つつじ(本キリシマツツジ)を見学。
えびの市 大河平(おこびら)つつじ
まずは、この地の歴史を学習
大河平氏
Wikipediaより引用大河平氏(おこびらし)は、日向国の氏族で、肥後国菊池氏の庶流。元の姓は八代氏で、弘治年間頃に日向の大名北原氏に仕えて大河平氏を名乗り、その後に島津氏に仕えて薩摩藩士として存続した。
概要
菊池氏6代・隆直の三男・菊池五郎隆俊が八代に移り、八代隆俊を名乗り菊池宗家に従っていたが、菊池宗家は、隆屋が八代氏12代当主の頃に大友氏と争い敗れ、一族共々米良山中に逃れた。一部は米良に留まり、あるいは須木に移住し米良氏を称したが、隆屋は部下66家を率いて北原氏を頼り、真幸院・飯野(現・えびの市)の大河平郷に移り住んだ。その際、姓も大河平に改めたとされる。本貫地は終生変わらず、大河平のままであった。
大河平一族は永禄7年(1564)5月30日伊東軍と戦いほとんど滅亡しました。これが世にいう今城合戦です。
合戦に敗れた氏族達が流した血の色とも言われ『血潮ツツジ』とも呼ばれているそうです。
より詳しく知りたい方は
➡ 大河平隆次(Wikipedia)
➡ 今城合戦 / 大河平事件(Wikipedia)
大河平つつじ
このつつじは、戦国末期の天正10年(1582)頃、大河平領主、大河平左近監隆俊という人が上大河平の旧領を拝領し、島津義弘公の設計で邸宅を造った際、霧島山中より映山紅(キリシマツツジ)の見事な物だけを集めて 庭木にしたものといわれます。以下の彩色画は、この邸宅が、明治10年の役(大河平事件参照)で全焼した為、明治33年(1900)、大河平隆芳は記憶をたどり、絵師に描かせたもの。
屋敷跡は、大河平小学校となっていた。
400年もの長い間、大河平の歴史を見て来たつつじです。
※2008年(平成20年)から休校となっていた大河平小は児童数の減少や保護者、地域住民の意向を受け、2015年閉校となった。
学校の正門側の道路沿いに約100mにわたり鮮やかな朱色の大河平つつじが咲き乱れている。
えびの市 大河平(おこびら)つつじ (1)
えびの市 大河平(おこびら)つつじ (2)
えびの市 大河平(おこびら)つつじ (3)
えびの市 大河平(おこびら)つつじ (4)
他の場所で大河平つつじを育てても同じ色は出ないと言われているそうです。土壌の影響とかあるのでしょうかね?
大河平地区内にはツツジのスポットが点在
地区内には大河手小学校を中心に、個人宅などでもいくつかツツジの綺麗なところが点在しておりました。個人宅などは道路からの見学となります。
えびの市 大河平(おこびら)つつじ (5) 大河平氏墓?の入り口
えびの市 大河平(おこびら)つつじ 大河平氏墓?
えびの市 大河平(おこびら)つつじ (6)
えびの市 大河平(おこびら)つつじ (7)
えびの市 大河平(おこびら)つつじ (8)
びの市立 大河平(おこびら)小学校(2015年閉校)
えびの市 大河平(おこびら)小学校(2015年閉校)
今回の撮影場所
〒889-4314 宮崎県えびの市大字大河平2411番地
➡ Google Map(小学校の位置)
その他 周辺の道路沿いで垣根の植栽を撮影
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