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日向市「金ケ浜ビュー園地」から見える金ケ浜の金毘羅宮

Posted morimori / 2023.04.11 Tuesday / 23:48


先日、日向市平岩の金ヶ浜園地(愛称 金ヶ浜ビュー園地)で「ネモフィラ」が見頃との情報を facebookPageに書いたのですが、以前から写真の黄色い矢印部分に、祠(ほこら)がある事に気付いており気になっておりました。
名前や、由縁を調べたところ、詳しい事が『広報ひゅうが 平成13年4月号』(下段引用)に掲載されており。
江戸時代に建立された「金比羅宮」のようです。

金ヶ浜ビュー園地から見える金ケ浜の金比羅宮
金ヶ浜ビュー園地から見える金ケ浜の金比羅宮


金比羅宮の祠の周囲は柱上節理、祠へ登る参道も見えます。

金ケ浜の金比羅宮
金ケ浜の金比羅宮



金ケ浜の金比羅宮
金ケ浜の金比羅宮


郷土の歴史 シリーズ18 金ケ浜の金毘羅さん『広報ひゅうが 平成13年4月号』

全文引用(引用元PDF

お倉とお金のはまぐり伝説で知られる金ケ浜海岸に隆起する絶景の岩場に、金比羅宮が鎮座しています。
これは、金ケ浜の坂元に住んでいる白川健一さんの先代・白川音次郎さんが江戸時代(1845年ごろ)に官吏として当地に赴任してきたとき、讃岐(香川県)の金比羅さんの御神体を受けて来て、ほこらをつくり祭ってきたものだと伝えられています。

讃岐の金比羅宮は、もともと海上安全守護の神として船乗りの信仰を集めてきたと言われます。特に、江戸時代以後盛んになり、航海神のほか農業神、生業の守護神、さらには疫病、火難、盗難よけなど多彩な御利益があると伝えられ、分社は全国の海岸や漁港に作られたようです。

旧暦の10月10日になると、平岩神社の一番太夫だった乱曲さんにおはらいをしてもらい、夕方には人々が集まって、清めの宴をあげてにぎわったと言います。

当時の白川家は、「一里杭(いちりぐい)」というところにあり、「一里杭の音次郎どん」と、呼ばれていたそうです。家も2〜3戸しかない寂しい山あいだった一里杭は、現在の金ケ浜の原地区で、今は30数戸もあります。特に、ここは旧豊後街道に面していましたので、一里ごと(約4辧砲帽困立ててあったようです。

昔、この辺りを行き来した人々は、耳川渡しで幸脇を通り、辻(鳥越)を越えてタブ峠のお常が茶に着き、この一里杭を経て、砂鉄の採れた砂田橋に出たと言われています。砂鉄と言えば、昔からこの砂田川下流でよく採取され数多の刀鍛治が住んでいたそうです。金ケ浜ドライブインから原地区一帯を「カジヤが平」と言うのは、そのことからつけられた地名だと言われます。

白川家は、大正時代に日豊本線の鉄道工事にかかり、現在地に移転されています。当家のすぐ近くに昔から「ウ塚」と呼ばれている塚があります。そして、この「ウ塚」は、籾木城時代に籾木殿の専用した通り道だったと伝えられているようです。
白川家が祭っていた金比羅さんも、戸数が増えてきたことから、今では原地区の氏神様として祭祀されています。

金比羅さんは、今日もひっそりとした岩場の上で、金ケ浜に遊ぶ多くのサーファーたちを海難から守っていることでしょう。
 / 引用 おわり



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