口蹄疫発生から15年 都農牧神社「家畜慰霊」で献花式 昔 撮影した桜とツツジの写真
Posted morimori / 2025.04.20 Sunday / 23:14
家畜伝染病の「口蹄疫」は、2010年4月20日、都農町都農町で1例目が確認され、その後、県全体に拡大。
宮崎県内、30戸の畜産農家ででおよそ30万頭の牛や豚が殺処分されました。
発生から15年、4月20日、最初に感染が確認された都農町にある畜産の神をまつる都農町の牧神社では、献花式(町、町自衛防疫推進協議会主催)が行われ、畜産農家ら13人は、畜魂碑に花を手向けて犠牲となった家畜を供養、再発防止を誓いました。
毎年4月20日に行われたきたこの献花式は発生から15回の節目を迎えたことから 今回が最後となるようで、関係者は防疫の徹底を誓っていたとのこと。(以下の関連ユースより抜粋引用)
➡ 口蹄疫から15年 都農町で献花式MRT ニュース 2025年4月20日
➡ 宮崎県内で口蹄疫が発生して15年 都農町で家畜慰霊の献花式UMK ニュース2025年04月20日
➡ 宮崎日日新聞は今日は休刊日ですが、ネットニュースに掲載されていた。
参加したJA尾鈴地区本部の黒木秀一畜産部長(54)は、発生当時に現場で殺処分を担当したことに触れ、「涙を流しながら作業した記憶は今も忘れられない」と回顧。韓国での発生が相次いでいることについて、「人の出入りは止められないので、水際対策の強化が何より重要。危機感を農家と共有し、絶対に持ち込まないという意識で防疫を徹底したい」と話していた。(宮日新聞より)
※最後の年なのに・・NHK宮崎の報道は無かった・・残念
下の一枚は、平成25年(2013年)都農町の、都農牧神社を訪れた際、撮影した写真、と口蹄疫発生前に撮影した桜とツツジが同時に咲いた年に撮影した都農牧神社の写真です。
都農町牧神社 畜鎮魂碑
参道横の広場に「畜魂碑」が建立されておりました。
思えば、児湯地区で家畜の伝染病である「口蹄疫」が確認されたのは、牛馬の神、畜産の神である、この都農牧神社の以下の桜のページを公開したすぐ後の出来事でした。
現地で、碑文を読んでいると、あの、県民皆か口蹄疫に悩み、苦しんだ時の事が走馬灯のように思い出され、涙が止まりませんでした。
碑文 引用
“本畜魂碑は、平成22年4月20日、本町に於いて口蹄疫が確認されて以来、6月6日までに30件の患畜が確認され処分された家畜と、周辺地域全体に蔓延したため、防疫処置として本町全域にワクチンが5月24日から26日にかけて接種されたことに伴い6月30日までに処分された家畜、あわせて1万7148頭の魂が安らかであるようにと祈りをこめて建立したものである。
本来我々人間の貴重な食物として、愛情こめて育てた町内全ての家畜が口蹄疫防疫措置のため犠牲になったことは、日本の畜産を守るとはいえ、非常に悲しい出来事であった。
我々畜産に携わるものは、このことを決して忘れることなく、今後一層の防疫作業に精進し、二度と繰り返さないことをここに誓う。
平成22年9月吉日 都農町”
都農牧神社鳥居
都農町 都農牧神社の紹介
都農町牧神社 由緒
鎮座地:大字川北14674番地(坂の上)
祭神:天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、牧霊大神
祭礼:春祭・4月10日、秋祭・11月19日
由緒:推古20年(612)宮中の宴で、推古天皇が「馬ならば日向の駒」と詠まれたことが「日本書紀」に記されている。昔から日向の駒の名声は朝廷にも響き、日本一と称えられていたことがわかる。延喜5年(905)醍醐天皇の勅命によって編纂された「延喜式」兵部省に朝廷直営の官牧(馬牧牛牧)として馬牧全国27か所のうち、日向には野波野、堤野、都農野の三か所に設置された。都農野馬牧が岩山牧の前身だと言われている。高鍋藩が岩山牧を設置したのは慶長14年(1609)で、安政4年(1759)廃止になるまで約250年間多くの名馬を産出してきたのである。岩山牧の大行事に、秋に行われた「駒追込み」があり、藩主もたびたび見物に訪れている。「本藩実録」に「岩山牧山犬多に付享保10年(1725)6月12日一社建立」とある。これによると、牧場の守護神として藩主が祀ったのが「都農牧神社」である。
「同12年5月山犬の被害出、牧神へ初穂」の記事もある。牛馬の神、畜産の神として崇敬されてきた。岩山頂上には、享保16年に奉納された石燈籠がある。
桜とツツジに彩られた都農牧神社の風景(昔の撮影)
今年は、桜は既に終えており、現在、ツツジが咲いているようです。写真を撮影したこの年は、桜とツツツが同時に咲いた、滅多にない年でした。
桜とツツジ咲く 都農牧神社
桜とツツジ咲く 都農牧神社
桜とツツジ咲く 都農牧神社
桜とツツジ咲く 都農牧神社
桜とツツジ咲く 都農牧神社
桜とツツジ咲く 都農牧神社
桜とツツジ咲く 都農牧神社
以下は以前書いたブログ記事より
2010年7月4日に終息を確認。
宮崎県内で殺処分された牛豚頭数:28万8300頭(宮崎県の家畜の4分の1)
(牛 6万8266頭 豚 22万34頭)
発生地域
11市町(日向市・都農町・川南町・木城町・高鍋町・新富町・西都市・国富町・宮崎市・えびの市・都城市)
※このうち川南町・木城町・高鍋町・新富町は町内全頭殺処分となり牛豚ゼロとなった。
防疫にかかわった延べ人数 15万人
ピーク時消毒ポイント 348ヶ所
イベントの中止・延期(県まとめ) 284件
県口蹄疫被害義援金(23日現在) 26億487万円
*以上のDATAは2010年7月27日付宮崎日日新聞より
宮崎県サイト内 関連WebPage
➡宮崎県口蹄疫復興メモリアルサイト「忘れない そして前へ」当サイト内関連WebPage
※「キャベツ畑のひまわり祭り」「大規模なひまわり畑」は、2019年 10年間を節目に終了しました。
現在は、それぞれ農家さんが個別に緑肥としてのひまわりを育てているのみです。
「ヒマワリ」は、元々は景観も良いことから一部の農家が2006年に植え始めたのが始まりとのことですが、規模も大きく本格的に始まったのは2010年のことです。
2010年(平成22年)4月、宮崎県内で発生した家畜伝染病「口蹄疫」の際には、高鍋町でも町内のすべての牛・豚を殺処分するなど、甚大な被害となり、それまで使っていた牛や豚の堆肥も移動制限等により、早い時期より使えなくなりました。
堆肥不足の対応、同時に、未曾有の大惨事により、町全体が悲しみ・活気をなくした中、みんなを元気にすることはできないかと考えた農業後継者らが中心となり、緑肥として使用でき、景観の向上にも寄与すると考えられたヒマワリの植栽を発案、2010年8月、県道沿いの38ヘクタールの畑に約500万本のヒマワリを植栽したのでした。
一面に開花した「ヒマワリ」に誰もが勇気付けられ年々、染ヶ岡地区のヒマワリ畑は1000万本を超える日本一のひまわり畑になるまでに広がって行ったのです。
毎月20日は消毒の日!
二度と口蹄疫を発生させないために、空港や宮崎港では、消毒マットを設置しています。リスクを少しでも下げるため、靴底消毒にご協力お願いします! 宮崎県広報より

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