「伊東マンショの肖像」展 忘れてた・・(--;)
Posted morimori / 2016.12.04 Sunday / 23:04
宮崎県立美術館で開催されていた、【日伊国交樹立150周年記念】 特別公開 「伊東マンショの肖像」、見ようと思っていたのに、すっかり忘れていた。
先日、撮りためハードディスクにとえあえず保存している写真データーを整理中、西都市都於郡(とのこおり)の未整理フォルダ写真の中に、伊東マンショの銅像が・・それで思い出した次第・・
最近忘れっぽい・・イカンなー(--;)
天正遣欧少年使節(てんしょうけんおうしょうねんしせつ) 伊東マンショ
〜 都於郡城跡の伊東マンショ像 〜
都於郡(とのこおり)城落城後、豊後(現在の大分県)への落人の中に伊東義祐の外孫にあたる伊東マンショが加わっておりました。
マンショはその後、豊後から島原の神学校に入学しましたが、天正10年(1582年)2月には天正少年使節4名「伊東マンショ・千々石(ちぢわ)ミゲル・中浦ジュリアン・原マルチノ」の正使としてローマに渡り、ローマ法王に謁見した後、8年5ヶ月の長旅を経て天正18年(1590年)長崎に帰ってきました。
日本人として初めて「日本国の王子」としてヨーロッパの桧舞台に立ち、立派に外交の使命を果たした彼等の数々の偉業が、歴史学者によって明らかにされたのは、明治になってから、また、伊東マンショが宮崎県西都市の都於郡出身であることがわかったのは昭和になってからとの事とのことです。
2014年3月、「伊東マンショの肖像画がイタリアのミラノで発見される!」とのニュースが伝わりました。マンショがヴェネツィアを訪れた際に、有名な画家であるティントレットがマンショの肖像画を描いたという記録が残っていましたが、実際に絵は確認されていませんでした。ところが、ミラノのトリヴルツィオ財団が所有する絵を調査したところ、マンショの肖像画であることが、400年の時を越えて確認されたのです。
今年が日伊国交樹立150周年であることから、トリヴルツィオ財団をはじめ、イタリア大使館などの御協力を得て、この肖像画の展覧会を開催します。マンショや天正遣欧少年使節に関する歴史資料なども展示しますので、ぜひご覧ください。
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