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安井息軒 旧宅(宮崎市清武町)の梅の花とメジロ

Posted morimori / 2018.02.23 Friday / 23:14


近代漢学の礎を築いた 安井息軒(やすいそっけん)の旧宅(国指定史跡 1979.05.22(昭和54.05.22)指定)が宮崎市清武町にあります。

安井息軒 旧宅 と 梅の花
〜 安井息軒 旧宅 梅の花 〜


一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり。/安井息軒

一年の計は元旦にあり・・とも言われますね。最初が肝心ということですね。

百里を行く者は九十を半ばとす。/安井息軒

何事も、最後の方ほど困難、九分位まで来て半分と心得なさい、最後まで気をゆるめるな、という安井息軒戒めの言葉です。
地元、清武町に「半九ホール」という劇場がありますが、この言葉が所以なでのでしょう。

安井息軒は、この旧宅で幼いころから、 農作業に汗を流しながら勉学に励む毎日を送りました。

安井息軒 旧宅 と 梅の花
〜 安井息軒 旧宅 梅の花 〜


安井息軒旧宅は、あがって宅内を見学出来ます。
(12mmワイドレンズで撮っているので、写真は実際より広く見えております。)

安井息軒 旧宅内
〜 安井息軒 旧宅 〜



宮崎のホテル・旅館など

宮崎県のホテル旅館民宿ペンション
周辺には、息軒が愛したという、梅の木がおよそ30本植えられております。


安井息軒 梅の花
〜 安井息軒 旧宅 梅の花 〜



安井息軒 梅の花
〜 安井息軒 旧宅 梅の花 〜


縁に座って、のんびり梅を眺めていると、メジロが目の前にやって来ました。

安井息軒 旧宅 梅の花とメジロ
〜 安井息軒 旧宅 梅の花とメジロ 〜



安井息軒 旧宅 梅の花とメジロ
〜 安井息軒 旧宅 梅の花とメジロ 〜



安井息軒 旧宅 梅の花とメジロ
〜 安井息軒 旧宅 梅の花とメジロ 〜



以下は、「安井息軒記念館」のリーフレットより

「安井息軒記念館」(旧きよたけ歴史館)は旧家の斜め前にあります。

知の巨人 安井息軒4つのすごさ

1.学者として

  • ある学派の偏った研究でなく、儒家や法家の思想、さらには洋学についても幅広く、深く研究した知の巨人で、今日のような確固たる法治国家、新国家建設の素地をつくった。
  • 古学派の学者として初めて、昌平坂学問所(江戸幕府直轄の学問所)の御儒者(教授)になった。
  • 塩谷宕陰しおのやとういん芳野金陵よしのきんりょうと共に、文久の3博士と呼ばれた。
  • 息軒の学識の深さは、日本のみならず、中国(清)や朝鮮にも知れ渡り、日本随一の学者といわれた。
  • 息軒、父槍洲、孫小太郎の書籍等約1万点が慶応義塾大学に安井文庫として保管され、研究がなされている。

2.教育者として

  • 清武「明教堂」、鉄肥「振徳堂」、江戸「三計塾」そして「昌平坂学問所」で藩や郷土、国を支えるおよそ2000人の優秀な人材を育てた。
  • 谷干城や陸奥宗光、井上毅、河原順信、平部晴南、小倉処平、雲井龍雄、北有馬太郎等そうそうたる弟子たちがいた。
  • 明治になってからも、息軒の元を訪ねてきた勝海舟と山岡鉄舟から明治天皇の侍講(個人教授)になるよう要請されたが、高齢を理由に辞退した。
  • この頃、官僚や知事の入門が相次ぎ、新しい国や地方創生のため、息軒の学問を吸収し、生かそうとした。陸奥宗光や三好退蔵、そして大日本帝国憲法を起草した井上毅を筆頭に、息軒の弟子たちは法に強く、法治国家建設を力強く推進していった。

3.政治アドバイザーとして

  • 第14代将軍、徳川家茂に謁見した。老中等とは日頃から会話し、意見を交わしていた。
  • 水戸学の中心人物で、後に老中になった水戸藩主徳川斉昭からは今後の幕政の在り方について意見を求められ、考えを述べ、直筆の書を拝領するなど深く感謝された。

4.郷土そして日本発展への貢献

  • 飲肥藩に対しても、藩主伊東祐相すけともとの深い緋に展づいて、さまざまなアドバイスや進言を行った。
  • 飲肥藩の長年の悪習であった、間引きを禁止させた。
  • 藩の財政や人々の生活向上のため、常に情報を収集し、二期作や養蚕について研究し、書物にまとめるなどして紹介した。
  • 種痘を紹介し、天然痘の予防に尽力した。
  • 敬老への取り組みについて進言し、実践させた。
  • 広く深い見識に基づいて優秀な人材を育て、地方や国の発展に大きく貢献した「知の巨人」、「法治国家への先導者」である。


安井息軒年表

  • 1799(寛政11)飲肥藩清武郷中野に生まれる 幼少期に天然痘にかかる
  • 1820〔21歳〕大坂で篠崎小竹に学ぶ
  • 1824〔25歳〕江戸、昌平坂学問所で学ぶ
  • 1827〔28歳〕清武に帰国し、川添佐代と結婚。郷校「明教堂」創建
  • 1831〔32歳〕飲肥移住、藩校「振徳堂」助教となる
  • 1835〔36歳〕父治洲没(母楚也は1826没)
  • 1838〔39歳〕藩職を辞し、家族を伴い江戸に移住
  • 1839〔40歳〕三計塾を開く(以後20回移転)
  • 1846〔47歳〕文会(学習会)を主宰
  • 1853〔54歳〕ペリー来航、『靖海問答』等を著す
  • 1862〔63歳〕佐代夫人没。14代将軍徳川家茂と謁見 年末、昌平坂学問所の御儒者(教授)となる
  • 1864〔65歳〕奥州塙代官に任命されるも、高齢等を理由に辞退
  • 1868〔69歳〕領家村(現埼玉県川口市)に疎開
  • 1869(明治2)〔70歳〕勝海舟等より明治天皇の侍講の依頼あるも、高齢と病気を理由に辞退
  • 1876〔77歳〕江戸で没し、養源寺(文京区)に埋葬される


開館時間:9:00〜16:30
開館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館)
 祝日の翌日(土日を除く)
 年末年始12月29日〜1月3日
入館料:無料
JR清武駅より徒歩約25分
「学園短大・国際大」バス停より徒歩5分
「加納小入口」バス停より徒歩15分
東九州自動車道清武ICより車で10分

住所:宮崎県宮崎市清武町加納甲3378-1

GoogleMapなど地図リンク等

地図:GoogleMap Mapfan Mapion
マップコード(66 107 071*13)
緯度経度:31度51分32.67秒 131度23分41.85秒(日本測地系)

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宮崎市では、青島の近くにある「好隣梅(こうりんばい)」も梅の名所で有名なのですが、
今年は、昨年の台風被害で通行止めとなっております。
  





 
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