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都城島津邸 本宅などを見学

Posted morimori / 2021.02.25 Thursday / 23:14


先日、都城を訪れた際「都城島津邸」を見学したのでご紹介。
(WebPageも作成しましたので、拡大写真はWebPageの方でご覧ください。)

島津家は宮崎県都城市発祥

島津氏は、鎌倉時代から江戸時代まで続いた、薩摩を根拠地とする大名家ですが、実は島津家の発祥の地は「都城市」にあります。
都城市の早水公園の近くに、祝吉御所跡いわよしごしょあとという県指定の史跡があります。
島津家の始祖 惟宗忠久(これむね の ただひさ)が鎌倉より下向して御所(館)を構えたところと伝えられております。

公園整備のときに一部の発掘調査が実施され、道路の跡や柱の穴などが見つかっているそうです。

御所跡
島津家発祥の地 祝吉御所跡


当サイト内WebPage: 島津家発症の地 祝吉御所跡

※ 惟宗忠久(wikipadia)も参照されると良いかと。


都城島津邸

都城島津家が明治12年(1879)以降に住んだ邸宅。広さ約5000坪の敷地内に、国登録有形文化財に登録されている「御門」「本宅」「石蔵」「外蔵」「剣道場」のほか、島津家より寄贈を受けた都城島津家史料を保存・展示する都城島津伝承館などがあります。

外観だけの見学は無料ですが、本宅内、都城島津伝承館の見学はそれぞれ、110円、220円。月曜休館です。
詳しくは、WebPageを作成しましたのでご覧ください。

都城島津邸本宅(国登録有形文化財)

都城島津邸は明治12年(1879)島津久寛が早鈴大明神の跡地に移住し邸宅を建設したのが始まりです。
現在の建物は昭和10年(1935)に建築されたものですが、明治の建物の間取りを活かし材料も活用しているのが特徴です。
その後 昭和29年(1954)に2階部分が増築され、昭和47年(1972)に昭和天皇・皇后両陛下のご宿泊に伴ない大改築が施され、現在に至っています。

都城島津邸 本宅外観

当日、天気も良く最高の撮影日和でしたが、何か工事を行っているようで、二階横のところに足場が組んでありまして、外観写真的には残念な結果となりました。
この時期は庭園の色合いも寂しいし、ツツジとかサツキが咲いた頃に再度撮りたい。

都城島津邸 本宅内


(写真は割愛しましたが)応接間にあった照明(ペンダント)のランプがLED電球でした。当時の面影を残すなら、拘って白熱電球にした方が良いのではないかなー。
全体的に時代が入れ混じり混在、感情移入という面では中途半端な印象を受けました。

今回作成した 島津邸本宅 WebPage は 以下よりリンク
都城島津邸 本宅内部
都城島津邸 本宅内



剣道場(国登録有形文化財)

慶応3年(1867)築と伝えられ、明治12年に邸内に移築されたといわれています。
床が低く、釘を上から打たない方法で造られています。
(剣道場内部の写真です。写真では解り辛いですが、展示してある兜などは、まつりなどの催し用に作られたものです。)
都城島津邸 剣道場内


石倉(国登録有形文化財)

昭和5年(1930)築の米蔵、後は民具等を収納。現在、室内は休憩室等のスペースとなっている。
都城島津邸 石倉

一巡したので、コーヒーでも飲んで休憩しようかと思って石倉のドアを開けたら、団体さんが食事をしておりました。蔵という場所柄、この時期、密と換気が気になりましたので遠慮しました。
次回リベンジしたいと思います。


今回作成した 都城島津邸 WebPage は 以下よりリンク


都城島津邸/本宅のリーフレット は 以下よりリンク



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