米良神楽(銀鏡神楽)+米良山の神楽(尾八重・中之又・村所・越之尾・小川)=米良の神楽で国重要無形民俗文化財へ
Posted morimori / 2023.01.21 Saturday / 20:51

国重要民俗文化財 米良神楽(銀鏡神楽) 白蓋鬼神(あまほめ)
銀鏡神楽の国登録名称は「米良神楽」でして・・「米良神楽」で銀鏡神楽を思い浮かべる方は少ないのではないでしょうか?
そこに「西米良神楽」があって、そして「米良山の神楽」まで・・・
やはり、統一した方が良い気がsるうなぁーと思っておいたところ・・ スッキリしました。
「米良の神楽」
国の文化審議会は、令和5年1月20日 米良神楽(銀鏡神楽)の指定内容を変更し、尾八重神楽、中之又神楽、西米良神楽(越之尾神楽・村所神楽・小川神楽)の3神楽を追加する形で「米良の神楽」の総称とするよう文部科学相に答申したようで、今朝の宮日新聞で報道されておりました。近く答申通り変更される見通しとのこと。
関係の皆様 おめでとうございます。
銀鏡神楽以外の神楽(記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財登録名:米良山の神楽)は重要無形民俗文化財へと格上げされる事になります。
2019年に作成したWebPage、中之又神楽の「あとがき」より引用
中之又地区は、宮崎県木城町の奧山に位置する緑に囲まれた小さな集落。
住民は50人あまり、高齢化率は7割を超えるという。
昭和30年代は、林業、鉱山なども栄え、「中之又小学校」の生徒数も100名を超えていたと聞きます。
産業の衰退と共に、やがて過疎化は進み、平成になると生徒数も10人以下となり、地区の「中武千草さん」らが中心となり、1995年より山村留学を受け入れておりましたが、平成20年度全校児童数は2名まで減少してしまい、平成21年(2009年)3月、最後の卒業生を送り出し、「中之又小学校」は閉校となってしまいました。
私が、「中之又神楽」を知ったのは、10年程前、NHK宮崎放送(ローカル)の番組。おそらく「中之又小学校」が閉校した年の頃の放送だったろうと思います。
中之又神楽では、「中之又小学校」での山村留学中に、神楽を学んだOB/OGが毎年、日向市や宮崎市から神楽に戻って来て、舞い手を担っている事、それを見守る母のような「中武千草さん」の姿にいたく感動しました。夫の春男さんは、中之又鎮守神社の宮司でもある。
それから数年後、はじめて訪れ、その後何度も見学しました。
神楽の写真をWebで公開、写真が縁で、中武千草さんとも知り合いになった。
一昨年(2017年)、神楽を舞う方の高齢化で、夜神楽が厳しくなり、一旦端宵神楽になったりしたのですが、今年は、夜神楽でした。
頼もしい後継者も育っているようで、ほっとしました、ただ、お一人でかなりの舞いを担ってらっしゃる方がいるのもまた、現実でもあります。
私たちに出来る応援は、神楽に足を運ぶことでしょう。
いつまでも続けて欲しいとの想い、願いで、あらためて「中之又神楽」平成30年版ページを作成した。(2019/9/1)
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