新富町総合交流センター「きらり」で百足塚古墳出土埴輪の展示
Posted morimori / 2016.08.20 Saturday / 23:50
今日は、宮崎県古墳講座 「畿内(ヤマト)王権と日向(ひむか)」の受講に、新富町総合交流センター「きらり」に出かけました。
新富町総合交流センター 愛称「きらり」は、今年4月にオープンしたばかりの施設、人と町の「記憶」温故知新・環境を考える資料ゾーンもあり、(国指定史跡「新田原古墳群」(総称)のなかにある)祇園原古墳群の百足塚(むかでづか)古墳から出土した埴輪がいくつか展示してありましたので、帰りに見学してきました。
人物埴輪「踊る女性」(百足塚古墳出土)
神がかりして衣をたくし上げて、下半身をあらわに性器を見せる女性で、全国的にも出土例の少ないものも。古事記に書かれた、天照大神が隠れた天の岩戸の前で舞った天鈿女命(アメノウズメノミコト)を連想させます。
〜 人物埴輪「踊る女性」(百足塚古墳出土) 〜
〜古事記〜
「槽伏(うけふ)せて踏み轟こし、神懸かりして胸乳かきいで裳緒(もひも)を陰(ほと=女陰)に押し垂れき。」
(アメノウズメがうつぶせにした槽(うけ 特殊な桶)の上に乗り、背をそり胸乳をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、女陰をあらわにして、低く腰を落して足を踏みとどろかし)
「太鼓形埴輪」(百足塚古墳出土)
〜 「太鼓形埴輪」(百足塚古墳出土) 〜
神事に使ったと思われる太鼓の埴輪の出土も全国でここだけとか。
人物埴輪「ひざまずく人」(百足塚古墳出土)
〜 人物埴輪「ひざまずく人」(百足塚古墳出土) 〜
一連の埴輪を見ていると、宮崎は「神話のふるさと」なんだなーと再認識。
〜 百足塚古墳 〜
〜 百足塚古墳そばの掲示物を撮影したもの 〜
形象埴輪群を並べる目的にはさまざま説があり、埋葬された人物の生前の生活を再現するという説や、埋葬された人物の財産などを誇示するという説などがあるようです。
百足塚古墳から出土した多数の埴輪群は、大阪府高槻市にある今城塚古墳(継体天皇の墓とする説が有力)の埴輪群と共通性が高いとして注目されているとか・・・。
国指定史跡「新田原古墳群」(にゅうたばるこふんぐん)とは、昭和19年に新田村にあった古墳すべてを保護するために付けられた古墳群の名称です。
実際の分布は、おおよそ2Kmごとに離れた位置にグループがわかれており、東から、塚原古墳群(つかばるこふんぐん)、石船古墳群(いわふねこふんぐん)、山之坊古墳群(やまのぼうこふんぐん)、祇園原古墳群 (ぎおんばるこふんぐん)と呼んでいます。
なかでも祇園原古墳群は、新田古墳群の中で最大の規模を誇り、今は154基の古墳があります。発掘調査で発見されたものを含めるとかつては200を超える古墳があったことがわかっています。
古墳時代でも特に後期に造られた前方後円墳が多く、日向地方でも最大の後期首長系譜であったと考えられます。
/ 新田原古墳群と百足塚古墳のはにわ 平成22年度百足塚古墳のはにわ展展示リーフレットより
新富町総合交流センター「きらり」の位置
GoogleMap
緯度経度:32度4分1.27秒 131度29分15.64秒
祇園原古墳群駐車場の位置
GoogleMap
緯度経度:32度5分57.75秒 131度25分45.34秒(日本測地系)
※祇園原古墳群は百足塚古墳周辺を中心に近年整備されており、駐車場やトイレなども完備されております。
(前略)1997(平成9年)に始まる新田原(にゅうたばる)−祇園原古墳群(新富町)の一つ、百足(むかで)塚の発掘調査で、人物埴輪を含む多種多量の形象埴輪が出土したことば、考古学を研究してきた私たちにとっても大きな驚きだった。
宮崎県出土の全体像を現した人物埴輪に、初めてお目にかかったのだから。その全容が明らかになったのは、2002年のことであった。
地域の歴史は、個性を持っている。個性的な踊る埴輪が個性的な地域から出土したように、宮崎県出土の人物埴輪も、また個性に満ちていた。
古代日向・神話と歴史の間 北郷泰道著より
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