高千穂の雲海 連続二日空振り|天孫降臨「二上山」|くしふる神社彫刻
Posted morimori / 2020.11.10 Tuesday / 23:40
県北プチ撮影記(2020秋)
高千穂町 雲海を求めて国見ヶ丘へ 1日目五ヶ瀬町 妙見神社の紅葉・妙見神水
五ヶ瀬町 五ヶ瀬ハイランドスキー場・鞍岡祇園山・夕日の里大橋の紅葉
高千穂町 高千穂神楽見学(観光客向けのダイジェスト版神楽)
高千穂町 雲海を求めて国見ヶ丘へ 2日目|天孫降臨 二上山|槵觸神社の彫刻(ご覧のページ)
延岡市 大瀬川の鮎やな
11月10日、前日、出なかった高千穂の雲海、今日こそはと期待したが、夜明け前、空を見上げると満天の星、今日もダメみたいだ・・。
まあ、こんなもんでしょうと諦め、昨日と別のところ(南側にある展望東屋)まで登り、撮影をはじめました。
ここは観光客が殆んど来ない。
当然誰も居ない。
LEDライトを照らし階段を上って行く。
暗がりに何か出そうでちょい怖い・・
遠くで物悲しいキーという鹿の鳴き声が聞こえている(^^;)
撮影の準備をしていると、次第に夜が明けて来た。
朝のマジックアワー

夜明け前 国見ヶ丘南展望台 東屋付近にて(GoogleMap)

夜明け前 国見ヶ丘南展望台 東屋付近にて
三脚にセットした一台の目のカメラでは、20秒毎にシャッターを切るインターバル撮影。
(後でタイムラプス動画にも使えるかなと思ったが、結局、いまいちの写真増産しただけでした。下の一枚を残し全部削除した。)

インターバル撮影を行っている事を忘れて、下に降りて、もう一台のカメラで紅葉など撮っていたら、写っていたのでこの写真だけ保存した(笑)

ここは、ドウダンツツジが多く植栽されており、これから紅葉が見頃となります。だいぶ紅葉してきておりました。


紅葉も進んできた

山門と中畑神社遥拝宮
観光客で賑わう一般的な展望所と違い、奥まったところにあるので、滞在期間(日の出後30分程の間)に、3組程しか来ませんでした。
山門を抜けた階段(写真のこの辺り)とか、雰囲気あって、私は好きな場所です。
これから紅葉の色も増してゆく事と思います。
中畑神社遥拝宮前の駐車場まで車で登れます。
(中畑神社の巨大杉また見たいのですが・・いかんせん道が狭くて二の足・・)

国見ヶ丘 概略マップ
当サイト内関連ページ
➡ 国見ヶ丘の雲海
二上山
昨日、国見ヶ丘から帰る途中で二上山が見える開けた撮影ポイントを見つけたので、帰りに立ち寄り撮影した。天照大御神の孫 ニニギノミコトは、大勢の神々を引き連れて、この山に天下ったと伝えられています。「天孫降臨」です。
「天孫降臨」
古事記では「日向の高千穂のくじふるたけ」、日本書紀ではこのほかに「くしひの高千穂のたけ」「高千穂のくしひの二上のたけ」などを挙げている。この他に、霧島の「高千穂峰」(高原町)など、諸説あります。
日向風土記逸文
日向の風土記に曰はく 臼杵の郡の内 知鋪の郷
天津彦々瓊々杵尊天の磐座を離れ
天の八重雲を排けて 稜威の道別き道別きて
日向の高千穂の二上の峯に天降りましき
時に 天暗冥く 夜晝別かず 人物道を失ひ
物の色別き難かりき ここに、土蜘蛛あり
名を大鉗小鉗と曰ふもの二人ありて奏言しけらく
「皇孫の尊 尊の御手を以ちて 稲千穂を抜きて
籾となし 四方に投げ散らしたまはば必す
開晴りなむ」とまおしき 時に大鉗等の奏ししが
如く 千穂の稲を搓みて籾と為して
投げ散らしたまひければ 即ち 天開晴り
日月照り光きき 因りて高千穂の二上の峯と
曰ひき 後の人 改めて知鋪と號く
訳文(日本古典文学大系風土記)による
天の磐座-----高天原の御座所
稜威の道別きに道別きて-----威風堂々と道をひらいて
土蜘妹------土地の勢カ者

二上山を撮影(GoogleMap)
「ニニギノミコトは天の八重雲を押し分けて日向の二上の峯に天降ってきたが、ときに天は真っ暗で昼も夜も分からなかった。天つ神が困っていると、忠告する土蜘蛛があった。名をオオクワ、コクワというこの土着の民が、稲の霊力によってこの闇は晴れるというので、千穂の稲を籾として投げたところ、天は晴れ、日月も輝いた」という記述である。
『風土記』は和銅六年(713年)の詔に応じてできたものである。とすれば奈良時代において、ニニギノミコトが降臨されたのは臼杵郡内の智鋪の里、すなわち今の宮崎県西臼杵郡高千穂町であると考えられていたことはまず間違いない。
梅原猛著「天皇家の"ふるさと"日向をゆく」新潮社刊(amazonリンク) より引用

二上山
(昼頃だと光の具合もイイ感じになるかも知れない。)
ニニギノミコトが降り立ったと、伝えられる「二上山」は山自体がご神体として崇められておりました。
元々は二上山の9合目に二上神社がありましたが、道が険しく、特に冬の積雪時などは参拝が困難なこともあり、里宮が作られました。
いろいろあって、高千穂側と五ヶ瀬町側に分社となり、高千穂側が現在の二上神社、そして五ヶ瀬町側が現在の三ヶ所神社となったようです。
当サイト内、関連するページ
➡ 二上神社
➡ 三ヶ所神社
標高1,060mの山頂は男岳と女岳の2つの峰に分かれ、写真左側が「女岳」右側が「雄岳」です。
高千穂と五ヶ瀬の町境にあり、両岳の間に見える道路は「フォレストピア六峰街道」です。
GW前頃、アケボノツツジが咲く頃登った事があります。
そういえば、昨夜の「高千穂神楽」は二上神楽だったし、今回の撮影プチツアーは、「二上」と縁があるなー。
槵觸神社本殿の彫刻
この後、もう一方の「天孫降臨」の伝わる「くしふるたけ」に鎮座する、槵觸神社へ向かった。槵觸神社(GoogleMap)
社殿付近にはいくつかモミジの木があるのですが、まだ緑、この辺りの紅葉は、もう少し先になりそうです。
(真っ赤になった頃、撮りに行きたいのですがタイミングが合わず、今日に・・)
今日は、槵觸神社の本殿等に施された彫刻が素晴らしいので、彫刻を中心に撮影した。
本殿両袖周囲には昇り龍、下り龍をはじめ、二十四孝物語の代表15の彫刻があります。
平成2年(1990年)には高千穂町の有形文化財に指定されています。
拝殿で参拝だけ済ませ、帰る方が多いですが、是非本殿の彫刻をご覧ください。裏参道の大杉もオススメです。
くしふる神社の彫刻
二十四孝 楊香(ようこう)
楊香(ようこう)には一人の父がいた。ある時父と山に行った際に虎が躍り出て、今にも2人を食べようとした。楊香は虎が去るように願ったが叶わないと知ると、父が食べられないように「天の神よ、どうか私だけを食べて、父は助けて下さいませ」と懸命に願ったところ、それまで猛り狂っていた虎が尻尾を巻いて逃げてしまい、父子共に命が助かった。
二十四孝 王�帖覆�うしょう)
王祥(おうしょう)は母を亡くした。父は後妻をもらい、王祥は継母からひどい扱いを受けたが恨みに思わず、継母にも大変孝行をした。実母が健在の折、冬の極寒の際に魚が食べたいと言い、王祥は河に行った。しかし、河は氷に覆われ魚はどこにも見えなかった。悲しみのあまり、衣服を脱ぎ氷の上に伏していると、氷が少し融けて魚が2匹出て来た。早速獲って帰って母に与えた。この孝行のためか、王祥が伏した所には毎年、人が伏せた形の氷が出るという。/
➡ 彫刻を中心としたWebPageを作成、公開した。
次は、延岡市大瀬川の鮎やなに向かった。
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