日々ブログ MORIMORI @宮崎県

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「幻の神楽」 桂大神楽(諸塚村諸塚神社)

Posted morimori / 2020.02.22 Saturday / 07:00


【 追記 】
その後、桂大神楽のWebPage(全18ページ)を作成しました。
ページ最後にリンク記載してますので、併せてご覧ください。


ここのところ、忙しく、しばらく、更新をお休みしております(^^;)
少し前の話題です。

今日の宮崎日日新聞県北版にも関連話題が掲載されておりましたが、2月15日・16日は、諸塚村の諸塚神社で奉納された「桂大神楽」を拝観しました。

桂神楽は普段、諸塚神社や矢村稲荷神社の例祭などで神楽三番〔東征・杉のぼり・八幡様(座はり)〕が昼神楽として奉納されているようです。
桂神楽では今回のような夜を徹して奉納する「夜神楽」は「大神楽(おおかぐら)」と称され、宮遷宮や大願成就といった特別な時に奉納されており、今回は、平成から令和の奉祝奉納でした。前回から5年ぶりの大神楽奉納です。

県内の夜神楽は通常、夜に始まり朝までが一般的ですが、桂大神楽は二十二番ですが、一番がその中分かれているものも少なくなく、全部合わせると七十五番程ありますので、15日午前中より16日朝まで、約20時間かけての奉納となりました。

以下は当日頂いた資料の一部を転載したものです。

桂神楽について

 桂神楽の起源については明らかではありませんが、桂村の始まり、特に桂正八幡神社との深い関わりがあるものと考えられます。
桂正八幡神社は南北朝時代(1336〜1392年)に関東かつらぎの国より勧請したと伝えられています。桂神楽は俗に「かつらぼうり」とよばれて、高千穂の荘と呼ばれた現在の西臼杵や東臼杵郡の諸塚村や椎葉村、熊本県の蘇陽町等広い地域で伝承されていたと伝えられております。

 大神楽(桂神楽では夜神楽のことを言う)は、古くは戦勝祈願や武運長久の祈願(八幡神社の御祭神が応神天皇「誉田別の命」であることに由来している)で大神楽を奉納していたようで、近年では宮遷宮やお日待ちの願成就といった特別な年にしか奉納されない夜神楽となっています。

 普段は諸塚神社や矢村稲荷神社の例祭などで神楽三番が奉納され、桂正八幡神社の例祭では神楽三番と願成就神楽、旧暦初午祭には稲荷神楽が奉納されています。
 平成元年1月に村指定の文化財、平成三年十一月には県の無形文化財として指定を受けました。自然の恵みと神々への感謝を表した素朴な舞いを堪能してください。
桂神楽保存会一同


今回、このブログでは、細かい調整編集時間が無かった為、拡大写真は入れておりません。

舞入れ

神宿よりご祭神、お供の方と共に舞い込む
令和二年 桂大神楽 舞入れ

令和二年 桂大神楽 舞入れ

令和二年 桂大神楽

荒神の言い句

神主と地主荒神との問答神楽。宮清めとして行われる。桂神楽では新しく宮が建ったり、鳥居建立の折に宮神楽とともに行われる。
令和二年 桂大神楽 荒神の言句


「杉のぼり」の動画

「杉のぼり」を Youtubeに動画をアップしておりますのでご覧下さい。
動画は殆んど撮らないのですが、「杉登り」は好きな番付、今回は、若い二人の参加で注目の番付の一つでしたので、動画でも撮りました。

この映像の見どころの一つは、3分30秒頃からの、動きの速い舞い、13分50秒程からの一糸乱れぬ足の動きとその踏む床の音、セリ歌も大いに神楽を盛りあげます。

神楽を終え、19分40秒頃からの「甲斐秀樹宮司(桂神楽保存会長)による、今回「杉のぼり」を舞った奈良県出身で母親の祖父母方に移住した大野輝也さん(22)、東京出身でドイツ・ベルリン在住のプロダンサー前田亮太さん(35)、今回、笛を担当した女性の方3名の紹介、由縁説明などもあります。

説明にもありましたが、大野さん、前田さんの事は、先日(2月11日付)宮崎日日新聞社会面にも掲載されておりましたので、ご存じの方も多かったのではないでしょうか?。
 
高千穂の夜神楽などでも「杉登り」は奉納されますが、桂神楽の「杉のぼり」は「からすとび」を交えたアグレッシブな舞いが特徴です。

以下の写真よりYoutubeへリンクしてます。
桂大神楽 杉のぼり
〔4K〕桂大神楽 杉のぼり(平成から令和の時代に 令和二年 奉祝大神楽奉納より)
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令和2年 五ヶ瀬町 古戸野夜神楽祭にて(2/2)

Posted morimori / 2020.01.12 Sunday / 23:55


令和2年 五ヶ瀬町 古戸野夜神楽祭にて 1/2 の続き2ページ目です。

8 五穀成就 令和2年 五ヶ瀬町 古戸野夜神楽祭にて
(五穀成就)



9 地割荒神 令和2年 五ヶ瀬町 古戸野夜神楽祭にて
(地割荒神)



10 杉登り 令和2年 五ヶ瀬町 古戸野夜神楽祭にて
(杉登り)
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令和2年 五ヶ瀬町 古戸野夜神楽祭にて(1/2)

Posted morimori / 2020.01.12 Sunday / 22:53


1月11日(土)〜12(日) 五ヶ瀬町の「古戸野夜神楽祭」を見学しました。

古戸野神社神楽の見学は、今回で3年連続です。
古戸野神社神楽は、6地区で順に奉納されており、一昨年 仲山地区、昨年 久保地区は上組センターでの奉納でした。

今回、神楽が奉納された西地区は、民家を神楽宿とした神楽でした。
上組センター(公民館のような所)とはまた違った、規模も大きいもので、民家ならではの雰囲気の良さ、見ごたえがありました。

15 神楽宿への道 令和2年 五ヶ瀬町 古戸野夜神楽祭にて
神楽宿への道
国文祭・芸文祭みやざき2020の幟もありました。)


二回に分け、写真の一部を紹介します。
(今回は、体調不良(風邪気味)により、朝方4時間程車に戻り休眠しましたので全番付は撮影しておりません。)

以下の説明文は、当日受付で頂いた資料より一部引用したものです。

古戸野神楽の謂われ

 古戸野神楽は、旧暦十一月十九日、ご神体を神楽宿に移し、夜を撤して三十三番の神楽を神々に奉納することで、五穀豊穣を願い祈り、合わせて、地域の人々の相互助け合いをも伝承しているものである。
 室町時代より地神楽として舞われていたものに、南朝忠臣芝原又三郎性虎が高千穂町芝原村より此の桑野内に移り住んだ時、地神楽に高千穂神楽を合わせ、それを古戸野地区に祭祀していた熊野三社大権現に奉納したのが始まりといわれている。
 明応七年(1498年)高千穂領主三田井惟房の代、内倉惟増の古戸野神社殿改築に伴い盛んになったようであるが、その後、南朝・北朝の争乱により一時廃れていく。そのような流れの中で、後日再興される過経で伊勢神楽が混じり、他の地区より遅いテンポの舞になったといわれている。その後、明治15年(1872年)古戸野の小田伝次郎が、現在見られるような三十三番の神楽にまとめたという。
 大正六年(1917年)に氏子中に火災が多く発生したために、御祭神の一柱、加具土命(火鎮の神)を拝みて崇敬し、火鎮祈願合せが行われている。それ以後、五穀豊穣成、火鎮祈願、家内安全のみならず、交通安全等諸々の安全を祈願し奉仕・奉納されているものである。

古戸野神社 旧称:熊野三社権現(王子権現)

所在地 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字桑野内4668番地
祭神  伊邪那岐尊 伊邪那美尊 加具土尊 菅原道真
 社伝に依れば、吉野朝の忠臣芝原文三郎性虎が高千穂押方芝原からこの地に移り住んだ時、芝原に祭祀していた熊野三社大権現を此の地に移したものという。
 居館を横通囲に定め、樺木岳に拠城を築き比の地を治めた。囲、舛形山、太鼓番、馬繋場、楯山、治部殿、門口、障、馬場、烏岳、狐塚、烏塚等当時の地名を今も留めている。
 現在、囲居館跡に性虎八幡宮、厚福寺(菩提寺)、二神神社、光照寺のほか、天満宮、水神宮、観音堂等多数の神仏が祭祀されている。又、又三郎の墓、五輪塔三十数基、御神刀、写経、神楽、棒術、団七踊等古くより保管きれ保存・継承されているものが多数ある。
 神社の建築年代は不明であるが、社殿の改築は明応7年(1498年)三田井惟房の代に内倉惟増が再興したと棟札にあつたという。
往時は熊野三社権現と言ったが、明治2年4月吉日に古戸野神社に改めた。社殿は明治22年再建され、拝殿は昭和26年に改築された。
 当神社は、故事より「火の神様」として遠近の崇敬厚く、氏子の家に火難ある時は神社の内で不思議な音が聞こえてこれを告げたので、氏子連は社殿にお籠りをして火難除け行事をしたという。

今年の番付(当初予定番付)


1 神降し
2 鎮守
3 入鬼神
4 花沖江
5 幣神随
6 五穀成就
7 地割の前舞
8 地割荒神
9 杉登り
10 岩潜り
11 庭伏
12 入れ鬼神
13 二つ武智
14 杵
15 山の神(男)
16 山の神(女)
17 八つ鉢
18 武智神随
19 山守
20 酒濾し
21 地固
22 大神
23 入れ鬼神
24 〆神楽
25 榊引き
26 戸取り荒神
27 伊勢神楽
28 太力男命
29 舞開き
30 火の前

1 神事 令和2年 五ヶ瀬町 古戸野夜神楽祭にて
(神事)



2 注連(しめ) 令和2年 五ヶ瀬町 古戸野夜神楽祭にて
(注連(しめ))
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