日々ブログ MORIMORI @宮崎県

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日南市文化センター DOCOMOMO Japan「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」

Posted morimori / 2023.09.11 Monday / 07:49


日南市文化センター / 丹下健三研究室 / 竣工1962年
日南市文化センター / 丹下健三研究室 / 竣工1962年


日南市文化センターの特徴ある外観は、日南の山並みや海といった自然環境を表したものといわれている。・・とか
(写真上)日南から見える霧島山?を連想と言いたいところだけど、ピラミッドかな?
(写真下)窓に突き出たものは、どことなく「鬼の洗濯板」を想像したりも・・・

日南市文化センター / 丹下健三研究室 / 竣工1962年
日南市文化センター / 丹下健三研究室 / 竣工1962年


ドコモモ(本部・リスボン)は、モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織です。

ドコモモの日本支部 DOCOMOMO Japanは、日本の近代建築の再評価のための活動を行うとともに、取り壊しが予定される近代建築について保存要望書を提出す等の保存活動に取り組んでいます。

DOCOMOMO JAPAN

DOCOMOMO Japanでは、1999年(平成11年)に日本の近代建築20選を選定、2003年(平成15年)9月には80件を加え、日本におけるモダン・ムーブメントの建築を100件選定。その後さらに随時追加されて 2023年(令和5年)8月時点で、280件の建築が選定されています。

「日南市文化センター」「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選定

2022年には、今回紹介する「日南市文化センター」(竣工1962年)が建築作品としての歴史的価値や造形美が評価され、「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選定されました。
 丹下氏は広島平和記念資料館や東京都庁、国立代々木第1・第2体育館などを設計したことで知られています。
日南市文化センターは九州で唯一現存する、丹下氏が設計した建築物とのことです。
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国指定重要文化財 旧吉松家住宅 (串間市)

Posted morimori / 2022.05.02 Monday / 21:17


国指定重要無形文化財 旧吉松家住宅(串間市)


※WebPageも作成しておりますので 興味のある方は併せてご覧ください。。
  国指定重要文化財 旧吉松家住宅

先月、串間市にある国指定重要文化財 旧吉松家住宅を見学しました。
突然の訪問にも関わらず、林館長に細部までいろいろ説明して頂き、感謝! 興味深い内容の数々、1時間程があっという間でした。

吉松家は、近世に庄屋をつとめ、明治以降、山林経営により発展した家で、現存する旧吉松家住宅の主屋は大正8年の上棟です。

平成20年12月2日 国の重要文化財に指定。
建造物としては第2538号の指定で、宮崎県内では9件目となっている。大正期の富豪の建造物が欠くことなく現存することは必要条件として、指定基準のうち「意匠的に優秀なもの」との基準により指定を受けている。

指定にあたっての説明文(抜粋)
「旧吉松・家住宅の主屋は、良材を用いた上質な造りで、洗練された座敷飾りや応接室の設えは優れた意匠を有しており価値が高い。大規模な近代和風建築で、主屋ほか、内蔵、物置、外風呂、外蔵など屋敷全体の構成を完存している点も貴重である。門、石段、石塀等敷地内の工作物を残す宅地も併せて保存を図る。」

国指定重要無形文化財 旧吉松家住宅(串間市)
電線が残念・・


表玄関

一枚板の板戸12枚全面を用いて竹林絵を描いている。
住宅完成期の大正10・11年にかけて今井玉芳(鹿児島市在住)が手掛けたもの。
玄関は通常は使用されず、特別な来客の際にのみ使用されたようで、最後に玄関が使用されたのは、後に「宮崎観光の父」と呼ばれた 故・岩切章太郎氏が来訪された時だったようです。

紫外線などの影響がなかったおかげでしょう 今でも当時の状態を保っておりました。

表玄関の板絵 旧吉松家住宅(串間市)
表玄関の板絵



表玄関の板絵 旧吉松家住宅(串間市)
表玄関の板絵


応接室

住宅唯一の洋間。表玄関を通された賓客用の応接室と思われ、折上格天井、上下開閉の窓など美しく、重厚感を醸し出している。

応接室 天井 旧吉松家住宅(串間市)
応接室 天井
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国指定史跡 宗麟原供養塔 川南町

Posted morimori / 2021.03.31 Wednesday / 20:59


宗麟原(川南町)に咲く桜
宗麟原(川南町)に咲く桜

宗麟原そうりんばる供養塔

私は、美郷町・椎葉村・諸塚村方面に向かう際には、宮崎ICから高鍋ICまで東九州自動車道を使い、その後、広域農道(尾鈴サンロード)を走り耳川を超えたところより県道51号を使い東郷町へ抜けます。この際、木城町・川南町境付近で「宗麟原供養塔」の案内板を目にしてまして・・いつか訪ねたいと思っておりましたが、先日ようやく訪ねました。

宗麟原そうりんばる供養塔は高城城主 山田新介有信が建立

前回書いた「高城城址」の記事で、島津氏と、豊後の大友氏の戦いが木城町高城川原(小丸川)で行われ大伴軍が敗退したことを書きました。
島津軍は逃げる大友軍を美々津の耳川まで追撃し、この間の草原は血に染められたと伝えられている。
戦死者の数は、大友軍4千、島津軍3千といわれ、その死者を葬ったのがこの宗麟原供養塔の後にある円塚との事です。

宗麟原供養塔は、7回忌にあたる天正13年に島津方の高城城主山田新介有信が、敵味方の区別なく戦死者の霊を慰めるために建てたものとのこと。

宗麟原供養塔 川南町

供養に来た人が打ち鳴らす鐘(写真右)の音から、「かんかん仏」の愛称で親しまれている。

供養塔の高さは約3.5m(台座を合わせた高さ)であり、一辺24mの円塚の一部を削って建立されている。(下段記載 川南町サイト参照)

宗麟原供養塔 川南町
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