日々ブログ MORIMORI @宮崎県

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【9/25更新】宮崎市〜日南市 国道220号 JR日南線 小内海駅付近の土砂崩れ 復旧目処立たず 迂回路/バスの案内

Posted morimori / 2021.09.25 Saturday / 07:13


この記事は9月20日に掲載した記事に対し、以下の情報などを追記更新したものです。
  • 国土交通省宮崎河川国道事務所は、国道220号についてまずは片側交互通行を目指しているものの、開通のめどはまだ立っていないとしています。
    南洋に発生した新たな台風の動き、影響も気になるところです。(9/25記)
  • 9/25 公共交通機関の対応(JR九州の代替バス運行・宮崎交通の臨時バス運行などの情報(9/25時点)を 下段に追記
  • 9月24日7時から当面の間、国道220号 青島パーキング(上り、日南市→宮崎市方面)を閉鎖。土砂を搬入するとの事です。
    青島バイパスの上り側(山側)のパーキングを利用する方は殆んど居なかったので問題ないのではと。

台風14号に伴う大雨の影響で、9月16日午前11時55分ごろ、宮崎市内海で幅約100メートル、高さ約70メートルにわたって斜面が崩落しました。

土砂崩れ現場の状況

宮崎市と日南市を結ぶ主要道路 国道220号は宮崎市内海―同市小内海間の約4.5キロ区間で全面通行止めとなり、JR日南線も青島―志布志間で運転見合わせとなっている。

家屋への土砂の流れ込みなどはあったようですが、人的被害が無かったのは何よりです。

共同通信によると、昨日(19日)、国土交通省の専門家チームが現場斜面に入り調査、大量の雨により地盤が緩み表層崩壊を起こしたと発表した。
13日から降り続いた雨の影響で「斜面は水分を含んでおり(国道やJRの通る)斜面下側から土砂を撤去すると再崩落の可能性がある」「二次災害の可能性もあり土砂撤去の見通しは立たない」との事でした。

現場近くの雨量計では土砂崩れが発生した16日までの4日間で9月の県平均降水量の2倍以上となる計約760mmを観測していたようです。

今後、調査を基に撤去の工程を検討するようですが、長期化も懸念されます。

規制状況については・・ 九州地方整備局 道路情報提供システム 本日の規制ページ参照

国道220号 土砂崩れ現場 地図


土砂崩れ現場は「JR小内海駅」付近で、国道220号 野島神社の近く、海沿いにある磯料理の「日南水産」の前辺りから日南方面約100mの区間です。

宮崎方面から内海(堀切トンネル南側口)まで通行可能。
串間・日南方面から小内海(いるか岬付近の小内海遮断機)まで通行可能。

 Google Map

 Google ストリートヴュー

土砂崩れ発生直前の雨雲レーダー画像

9月16日、宮崎市南部は、朝から土砂降り、普通なら雨雲は通りすぎるのですが、ずーっと停滞し続ける異状事態。
以下は、当日、当方でYahoo!雨雲ズームレーダー画面をキャプチャ記録していたものです。
土砂崩れの発生した、小内海駅付近にも朝から雨雲がずーと停滞し続けておりました。

Yahoo!雨雲ズームレーダー画面をキャプチャしたもの
Yahoo!雨雲ズームレーダー画面をキャプチャしたもの
Yahoo!雨雲ズームレーダー画面をキャプチャしたもの


宮崎市内では、多くの地区で避難指示が出ました。
各地で道路が冠水したようで、家の前の道路も膝まで冠水してました。
「今までは大丈夫だから」は・・通用しなくなりました。
早めの避難を!
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七夕に思う 神からの警鐘

Posted morimori / 2021.07.07 Wednesday / 06:15


「熱海市土石流」で被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
又、お亡くなりになられました方々に心よりお悔やみを申し上げます。
現在行方不明の方々が一刻も早く救助されることをお祈り申し上げます。

避難指示が出ていなかったのが悔やまれます。

先日のブログ記事「雲仙普賢岳 最大規模の火砕流から30年」で、書いた、元島原市長 鐘ヶ江管一氏の全国各地での講演会での言葉・・が脳裏をよぎる。

「避難しても何もなかったじゃないか」と言われたら
その時は「何もなくてよかったな」と思わないといけない
だから空振りを躊躇したらいけないと全国各地で言った。/ 元島原市長 鐘ヶ江管一さん

避難勧告や避難指示、警戒区域の設定などは各自治体の首長が判断し、決断を下します。空振りを恐れず、手遅れになる前の早め早めの決断が首長の役割だと思います。オオカミ少年と言われてもいい。「何もなくて良かった」という気持ちにならないといけない。

今回は種々の要素があるのかもしれませんが、今まで何も無かったから大丈夫 は通用しない。
避難の大切さを再度認識したい。

今日は、7月7日「七夕」、以前から七夕の日には大雨というイメージがあります。

以前も書きましたが、毎年、七夕になると思いだすことがあります。 
今から十数年前、2007年「神都」高千穂で起きた出来事です。

(以下の内容は、2007/07/10に書いたブログよりほぼ転載)

木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)からのメッセージ
〜 7・7・7 神話の里高千穂を舞台に起きた“神隠し事件” 〜

2007年7月7日、宮崎県、高千穂町のビジネスホテルの駐車場に設置されていた高さ1.8m、重さ300Kgの「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」のブロンズ像が台座(1トン以上)ごと盗まれたというニュースが報じられた。


コノハナサクヤヒメ像
〜 コノハナサクヤヒメ像 〜



この木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の像は、同ホテルが「神話と伝説」の町おこしのため、私財600万円を投じ(高鍋町の彫刻家が作成)1988年ごろに設置したもの。

“盗まれた”のは、6日午後8時〜7日午前7時50分の間、人気の無い(当日は雨)を狙っての計画的犯行では?
台座ごと無くなっているのでクレーンのようなものでつり上げて持ち去った可能性が高い、との事で、被害届を受けた高千穂署が、「盗難事件」として捜査しておりました。

「事件」が発生したと思われる、7月7日はご存知「七夕」の日

 日本の七夕は、中国より7世紀頃に伝わった牽牛・織女の二つの星の伝説、短冊に歌や文字を書いて裁縫や書道の上達を願う風習と共に、日本古来の棚織女(たなばたつめ)の伝承と結びつき、宮中で行われたのが始まりだそうです。

 棚織女(たなばたつめ)とは、神様に捧げる着物を織る、巫女的な要素を強く持つ女性。木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)も棚織女(たなばたつめ)でもあったとされ、「七夕」にはコノハナサクヤヒメとニニギノミコトと逢初川で出会うという神話もさらに重なっているのでしょう。

西都古墳祭りにて
コノハナサクヤヒメとニニギノミコト
(上のイメージは、2017年 西都古墳まつりで撮影したもの)

そんな七夕の日を選んでのミッション?とも思える、今回の事件の犯人はなかなか「記紀」「神話」等に明るい人物だなぁ・・

金属としてのブロンズはそれ程価値もないようなので金属目当てではないな・・などと、あれこれ昨夜(サクヤ)、私は想像していたのでありますが・・

7月9日午後、事件は意外な展開を見せるのであった。
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雲仙普賢岳 最大規模の火砕流から30年

Posted morimori / 2021.06.03 Thursday / 23:04


雲仙普賢岳で、最大規模の火砕流が発生し、報道関係者、消防団員、警察官ら43名の犠牲者を出す大惨事から今日で30年。


雲仙普賢岳の教訓を未来へじ掬膰胸堋后‐皀江管一さん

それでもやれと(知事に)言われたら「窓から飛び降りる」と言って窓に足をかけた。

NIB長崎国際テレビ NIB news every.特集(2021年5月21日放送)

「避難しても何もなかったじゃないか」と言われたら
その時は「何もなくてよかったな」と思わないといけない
だから空振りを躊躇したらいけないと全国各地で言った。/ 元島原市長 鐘ヶ江管一さん


 平成じげもん【鐘ケ江管一さん】普賢岳噴火、対応に奔走
《警戒区域に設定されれば、そこで生活していた住民が一斉にいなくなる。それをのむぐらいなら飛び降りて楽になりたいと、4階の窓から身を乗り出したところ、高田知事に引きずり下ろされました。「住民の損失は国と県で支援する」と知事から確約を取り付け、設定に合意しました。》

《避難勧告や避難指示、警戒区域の設定などは各自治体の首長が判断し、決断を下します。空振りを恐れず、手遅れになる前の早め早めの決断が首長の役割だと思います。オオカミ少年と言われてもいい。「何もなくて良かった」という気持ちにならないといけない。》

避難の大切さを再度認識したい。

掲載した普賢岳の写真は過去に撮影したものです。

普賢岳 平成新山
普賢岳 平成新山 地獄跡火口


1990年〜1995年(平成2〜7年)の噴火

1990年11月17日(平成2年)、九十九島、地獄跡両旧火口から白い噴煙、水蒸気を上げて噴火が198年ぶりに始まりました。
当初は火山灰も少なく溶岩ドームも形成されませんでしたが、1991年2月(平成3年)の屏風岩火口ができてから、火山活動も活発化し、3つの火口からの大量の降灰が深江、島原方面へもたらされるようになりました。また、土石流も発生し、水無川に沿って海岸まで達しました。
1991年5月20日(平成3年)地獄跡火口に最初の溶岩ドームが出現し、その後、溶岩ドームは成長と崩壊を繰り返し火砕流が頻発するようになりました。
6月3日には成長した溶岩ドームの地滑り的崩壊によって、最大規模の火砕流が発生し、報道関係者、消防団員、警察官ら43名の犠牲者を出す大惨事となりました。(最終的には火砕流は9,432回にも及んだ。)



当時、取材現場の定点を含む一帯は「避難勧告地域」。噴火活動の活発化に伴い地元島原市が報道陣に出した退去要請に、「強制力がない」と多くが従わなかった。その時、一部報道機関が避難で留守になった民家の電源や電話を無断で使用。消防団が監視のため避難勧告地域に戻ったところ、火砕流が押し寄せた。

その後、溶岩ドームは、第13ドームまで出現しましたが、1995年(平成7年)には、噴火活動も停止し、5月には「終息宣言」が出されました。
約200年ぶりに起きた"平成の島原大変"は死者44名、建物被害2,511棟、被害総額2,299億円など、地域生活や経済活動に長期にわたって大きな被害を与えました。

雲仙岳の歴史

  • 701年 行基による開山
  • 1663年(寛文3年)噴火。輝石安山岩質の古焼溶岩流が山腹から流出。
  • 1792年(寛政4年)噴火。眉山が山体崩壊を起こし、「島原大変肥後迷惑」の発生その後、山腹からデイサイト質の新焼溶岩流が北東に流下
  • 1928年(昭和3年)3月31日 「温泉岳」として国の文化財(名勝)に指定。
  • 1934年(昭和9年)3月16日 雲仙国立公園(現雲仙天草国立公園)として日本で最初の国立公園に指定。
  • 1952年(昭和27年)3月29日 「温泉岳」として国の文化財(特別名勝)に指定。
  • 1990年11月17日 噴火活動を開始
  • 1991年5月20日 地獄跡火口から溶岩ドームの出現が確認される。
  • 1991年6月3日 火砕流が発生。報道、消防関係者を中心に死者43名の大惨事に。この中には有名な火山学者クラフト夫妻も含まれる。
  • 1995年4月 噴火活動の休止
  • 1996年5月20日 島原市と小浜町(現雲仙市)が溶岩ドームを「平成新山」と命名。
  • 2004年4月5日 平成新山が国の天然記念物に指定される。
  • 2007年 日本の地質百選に選定(「雲仙」)。
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