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山之口 弥五郎どん 明治初めの神仏混淆〜昭和58年にかけ、白い面を使っていた

Posted morimori / 2024.11.17 Sunday / 08:49


山之口 弥五郎どん祭り
山之口 弥五郎どん祭り

今朝(2024年11月17日)の➡ 宮崎日日新聞「くろしお」欄は、都城市山之口に伝わる「弥五郎どん祭り」についての話題でした・・
(弥五郎どん祭りは毎年、11月3日(文化の日)に行われています。)
同紙より引用
 南九州に伝わる「弥五郎どん祭り」は不思議だ。古代に朝廷と戦い命を落とした隼人を慰霊する放生会(ほうじょうえ)が発祥とされるが、主人公の正体は不詳。祭り当日訪れた都城市山之口町でも弥五郎は謎多き人だった。・・・
 **中略**
・・・主人公のはずの弥五郎は先導役。神仏混淆の信仰の中で、隼人が従神に変容したのだろうか 同町の弥五郎は約100年間�猜命諭蹐砲覆辰寝椎柔�も。
江戸時代に使われた赤色の鬼面が、明治時代初期から白色の翁面に一新された。尊皇思想にのっとり、朝廷と敵対した隼人とは別の人物像を創出したとの見方がある。1983(昭和58)年、保存会が古文献を参考にしてかつての赤色に戻した言い伝えが事実ならば、弥五郎は地方社会が中央組織に組み込まれていった歴史の象徴。その意味で祭りは悲哀を帯びている。一方、姿を変えながらも引き賂がれてきたことを考えれば子孫たちが隼人に抱く思慕の念を伝える、愛の祭礼ともいえるだろう。



弥五郎どん(やごろうどん)は隼人族の首長

巨人信仰や放生会と相まって「弥五郎どん祭り」となり、大隅、日向地方の巨人伝説信仰として後世に生き続けている。

昔、九州が西海道といわれた時代、南九州は日向と呼ばれていました。
昔からここに住んでいた人々が隼人(はやと)族です。

 奈良時代のはじめ(約1300年前頃)、大和朝廷は、「養老律令」という法律をつくって支配の強化をはかり、全国の地方の政治をより細かく行っていこうと考えて、日向の国に薩摩と大隈の国を分置したのです。

 それまで首長を中心に強固な共同体を組織していた隼人にとっては、一人一人が完全に帳簿に登記され、中央から派遣された官僚によって支配される事は大変な屈辱であり、一族としての今までの様な土地の所有権、又は生活ができなると思い、反抗したのです。

 養老4年(720年)、大隈、日向の隼人らは中央から派遣された初代大隈国守の殺害して叛乱を起しました。(隼人の乱と呼ばれている。)
隼人軍は苦戦の連続で、圧倒的な兵力を持つ政府軍の前に力尽き、隼人の城は次々に落ちて大変いたましいものとなりました。

資料
画像:弥五郎どんの館 展示物より
720年の隼人の乱の時、隼人族の最後の拠点となったとされる
鹿児島県国分市(推定)の比売(ひめ)城。

隼人の首領、弥五郎をはじめ犠牲なった1,400余名の隼人族の怨霊をおそれた大和朝廷は、全国で放生会(ほうじょうえ)を行わせました。
放生会で隼人俗の首領「弥五郎どん」の大きな人形とつくり、その霊を慰めるようになったのです。
(関連ページ 奮戦した隼人が祀られる➡ 隼人塚)
神仏習合の八幡の名残りが現在の南九州の八幡神社で行われている「弥五郎どん祭り」なのです。

➡ 弥五郎どん祭りのWebPageもご覧ください。

山之口 弥五郎どん祭り
平成15年(2003年)~使用中の弥五郎どんの面
彫刻:高千穂町工藤面師



平成元年(1989)に「日向の弥五郎人形行事」として国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」指定を受け 宮崎県無形民俗文化財に指定されたのは、1990年(平成2年)のことでした。
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