【終了】2025年版「みやざき観光カレンダー」用写真募集(6/1-8/18)
Posted morimori / 2024.05.25 Saturday / 06:59
宮崎県観光協会では、今年も来年 2025年 (令和7年)版の「みやざき観光カレンダー」の表紙や各月を飾る写真を一般公募しました。
2025年みやざき観光カレンダー フォトコンテストに応募してみてはいかがでしょう!
2025年版「みやざき観光カレンダー」用写真募集チラシ
高解像(1920pix幅)写真を交え 宮崎県観光/情報などを中心に紹介
【当サイト内検索・画像検索含む】Posted morimori / 2024.05.25 Saturday / 06:59
Posted morimori / 2024.05.21 Tuesday / 20:47
Posted morimori / 2024.05.18 Saturday / 06:32
なぜ桜に惹かれるのか
どうしてこうも桜に惹かれるのかと思うことがある。
桜は年に一度だけ花を咲かせてくれる。その桜が西都原だけでも二、三十万の人達を呼び寄せる。何故こんなにも人を呼び寄せるのだろうか。桜以外の花でこんなにもたくさんの人が群がる花があるだろうか。考えても思い当たらない。桜には秘める理由が何かあるに違いない。
毎年繰り返される春の花祭り。桜の木の下に人が群がる。その力は何であるか。色だろうか、香りだろうか、形だろうか。それだけではないだろう。桜よりもっと美しいものは沢山あるだろうから。それなのに群れをなして人が集まってくるのである。
私はその魅力に惹かれて四十年も描き続けてきた。一日中描いても飽きることはない。描いても描いても描きつくせるものではない。
人は樹の下に座して歌い、飲んで喰ってしても飽きない。陪くなってもやめよう上しない。
枝は天空に向かって勢いよく伸びる。そこには他の樹木を寄せつけない生命力がみなぎっている。
必死になってこの線を描くのだが難しい。でも近づくと花が話しかけてくる。
枝の間から顔が見え隠れする。この顔を描くことで対話が始まる。人が群がる理由はここにあるのかもしれない。
花が語りかけてくる。花が笑い出す。桜の花を見ているとこちらも笑い出したくなる。人の心を和らげてくれる。だから人が群がるのかもしれない。
桜の花は私達に元気を与えてくれている。だから人に愛されるのだろう。
この花を見ていると人間の一生と似ているような気がする。華やかさも悲しみも湛え、季節がくると全力で美を競ってくれる。物言わぬ桜は、色と香りと姿で私たちを引きつける。
今年もまた沢山の人がこの桜の下に集まってきた。
桜が笑う。桜との話は尽きない。
絵が動く / 弥勒祐徳より
何故に神楽を措くのか。神楽とは何であるのか。私が今日まで措きつづけているのは何故なのか。神楽を措きながら私の心をかきたてるものは何であるのか。年に一度しかない神楽は村人にどんな意義があるのか。
今日まで舞いつづけられていることも、生活の中に神楽が生きつづけたからだろう、そこに神楽の意義があると思う。神を迎え、神を送り、その夜は実に美しい。神々は夜に降りられ、夜明けとともに神の里に帰る。その間が夜神楽である。この山深い里に生きのこった民俗の祭りである。この祭りを私はどうしても絵にしたいと思った。それ以来神楽の絵に明け暮れている。どうすれば神楽が描けるだろうか。難しいことではあるが描きつづけることで神楽の何かが描けるではないのだろうかと思っている。
神楽にむかって筆を走らせることにより、神楽は何であるかわかるような気がした。そうするより他に何があるだろうか。命のつづく限り描くより解決はないだろう。
日向の山々は、雨雲につつまれていた。神楽で会ったあの人は今日も元気だろうか。今年もお会い出来るだろうか。神々と一夜をすごした一年中で一番楽しい日がくるのもそう遠くない。