古戸野夜神楽 1 古戸野神社・神事・神降し・鎮守・入鬼神
Posted morimori / 2019.01.12 Saturday / 23:40
1月12日(土)〜13(日)の夜神楽ですが・・日之影(大人)、高千穂(河内)、五ヶ瀬(古戸野)(桑野内)と、神楽が重なり、どこに行こうか悩みましたが、昨年同様、五ヶ瀬町の古戸野夜神楽を見学しました。
と言うことで、古戸野夜神楽の写真を5回に渡り掲載します。
平成31年(2019年) 古戸野夜神楽
- 古戸野夜神楽 1 古戸野神社・神事・神降し・鎮守・入鬼神
- 古戸野夜神楽 2 花沖江(五ヶ瀬町立上組小学校)
- 古戸野夜神楽 3 花沖江・幣神随・五穀成就・地割・武智神随
- 古戸野夜神楽 4 杉登り・岩潜り・七貴神・酒漉し
- 古戸野夜神楽 5 地固・大神・榊引き・戸取り・伊勢神楽・太刀男命・舞開き・火の前
古戸野夜神楽は今年で二回目(五月の神楽祭りを入れると3回目)ですが、神楽保存会の方に覚えて頂いて、お声がけ頂いたり、昨年お世話になった方や、昨年見学でいらした方との再開などあり、今回はじめてお会いした方等々、今回も思い出深い古戸野夜神楽となりました。
古戸野神楽
古戸野夜神楽 幟と阿蘇方面の景色
古戸野神楽は、旧暦11月19日、ご神体を神楽宿に移し、夜を徹して33番の神楽を神々に奉納することで、五穀豊穣を願い祈り、合わせて、地域の人々の相互助け合いをも伝承しているものである。
室町時代より地神楽として舞われていたものに、南朝忠芝原又三郎性虎が 高千穂芝原村より 此の桑野内地区に祭祀していた熊野三社大権現に奉納したのがはじまりと言われている。
明応7年(1498年)高千穂領主三田井惟房の代、内倉惟増の古戸野神社社殿改築に伴い盛んになったようであるが、その後、南朝・北朝の争乱により一時廃れていく。そののような流れの中で、後日再興される過程で伊勢神楽が混じり、他の地区より遅いテンポの舞になったといわれている。その後、明治15年(1872年)古戸野の小田伝次郎が、現在みられるような33番の神楽にまとめたという。
大正6年(1917年)に氏子中に火災が多く発生したために、御祭神の一人、加具土命(火鎮の神)を拝みて崇敬し、火鎮祈願合せが行われている。それ以降、五穀豊穣成、火鎮祈願、家内安全のみならず、交通安全等諸々の安全を祈願し奉仕・奉納されてるものである。 / 案内チラシより 引用終わり
古戸野神社 旧称 熊野三社権現(王子権現)
古戸野神社 巨大な御神木(杉)も必見
所在地:宮崎県西臼杵群五ヶ瀬町大字桑野内4668番地
祭神:伊邪那岐尊、伊邪那美尊、加具土尊、菅原道真
社伝に依れば、吉野朝の忠臣芝原又三郎虎が高千穂押方芝原からこの地に移り住んだ時、芝原に祭祀していた熊野三社権現を此の地に移したものという。
居館を横通囲に定め、樺木岳に拠城を築き此の地を治めた。
囲、舛形山、太鼓番、馬繁場、楯山、治部殿、門口、陣、馬場、鳥岳、狐塚、鳥塚等当時の地名を今も留めている。
現在、囲居館跡に性虎八幡宮、厚福寺(菩提寺)、二社神社、光照寺のほか、天満宮、水神宮、観音堂等多数の神仏が祭祀されている。又、又三郎の墓、五輪塔三十数基、御神刀、写経、神楽、棒術、談七踊等古くより保管され保存・継承されているものが多数ある。
神社の建築年代は不明であるが、社殿の改築は明応7年(1498年)三田井惟房の代に内倉惟増が再興したと棟札にあったという。
往時は熊野三権現と言ったが、明治2年4月吉日に古戸野神社に改めた。社殿は明治22年再建され、拝殿は昭和26年に改築された。
当神社は、故事より「火の神様」として遠近の崇敬厚く、氏子の家に火難ある時は神社の内で不思議な音が聞えてこれを告げたので、氏子達は社殿にお籠りをして火難除け行事をしたという。 / 案内チラシより 引用終わり
古戸野神社 拝殿
古戸野神社 本殿
※古戸野神社の写真は、平成30年5月に撮影したものです。