日々ブログ MORIMORI @宮崎県

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令和5年(2023年) 中之又神楽(国指定重要無形民俗文化財「米良の神楽」)その2

Posted morimori / 2023.12.12 Tuesday / 23:25


12月9日から10日にかけて木城町、中之又鎮守神社例大祭で奉納された「中之又神楽」の写真を3回に分けて紹介します。
「米良の神楽」の総称で国の登録無形民俗文化財に指定され初めての奉納という事もあるのでしょう、多くの方が訪れておりました。

一部、撮影してない番付もあります。
撮影した写真から選んだ75枚程は別途WebPageを作成の上掲載しております。(最後にリンク記載しております。)



【1】一番神楽(奉賛舞)

諸神を勧請しての舞殿清めの舞。

【1】一番神楽(奉賛舞)
【1】一番神楽(奉賛舞)


【2】花の舞(地割)

献饌と結界をあらわす舞。

【2】花の舞(地割)
【2】花の舞(地割)
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令和5年(2023年) 中之又神楽(国指定重要無形民俗文化財「米良の神楽」)その1

Posted morimori / 2023.12.11 Monday / 20:16


中之又神楽


今年も、木城町中之又鎮座「鎮守神社」の大祭で奉納される中之又神楽へ出かけました。
「中之又神楽」のファンでかれこれ10年程通っております。(前回記事参照

中之又の皆様、神楽関係者の皆様、現地でお会いした神楽/中之又ファンの皆様、お世話になりました。
1年ぶりの中之又神楽見学、おかげ様で、ゆるり のんびり いつものように堪能させていただきました。

御礼も兼ね、今回撮影した写真を、整理/編集 令和5年中之又神楽のWebPageを作成しましたので、今回のブログ最後の記事にリンク記載しておりますのでご覧ください。

今回の記事(1)では、舞殿の様子、神輿入れ、浦安の舞、帰り尾八重に抜ける林道でコシジロヤマドリと遭遇した話題などを紹介します。

社殿横に設えられた「舞殿」


社殿横に設けられた祭場「舞殿」
社殿横に設けられた祭場「舞殿」

社殿横に高天原を表した神楽を奉納する「舞殿」が設えられます。
四方に椎の木の柱を立て、上座に椎の葉で「山」(垣)を作ります。
上座中央には、注連(しめ)が立てられる。
注連には黄色や赤、緑、青など色とりどり御幣が付けられ、頂きには三神幣(さんこび)が立ち、太陽となる扇子と梵天を表す布が張られる。

舞場中央上には八注連が渡される、一般に米良系の神楽では中央に天(あま)を吊しますが、中之又では独特で、五色切り紙で作ったシデ房を吊るすのが昔からの習わしで、これは「暁天(ぼんてん)」と呼ばれ宗教や修験の古風を留めているものと考えられているとのことです。

以上、 薫り高き文化に抱かれて〜木城町に伝承される郷土芸能〜/ 地域文化資産 抜粋引用

社殿横に設けられた祭場「御神屋」
社殿横に設けられた祭場「御神屋」
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今日(12/9) - 木城町 中之又鎮守神社奉納「中之又神楽」(夜神楽)

Posted morimori / 2023.12.09 Saturday / 08:45


本日、12月9日、木城町の山間にある 中之又地区に鎮座する「中之又鎮守神社」の例大祭で中之又神楽(夜神楽)が奉納される予定です。

・令和5年(2023年)12月9日(土)
・祭典式:17時より
・夜神楽:19時より明け方まで

中之又神楽は、かれこれ10年通っております。

「中之又神楽」は 今年、銀鏡神楽、尾八重神楽、西米良村の3つの神楽(越之尾神楽・村所神楽・小川神楽)と共に「米良の神楽」の一つとして、国の重要無形民俗文化財に指定されました。

中之又地区は、宮崎県木城町の街中から車で約45分程のところにある山間にある自然豊かな小さな集落です。

令和5年(2023年)4月1日現在、27世帯 36人が暮らしており、うち28人が65歳以上の高齢者となっており、高齢化率は8割を超える「限界集落」です。

昭和30年代は、林業、鉱山なども栄え、最盛期には約800人が暮らし地区にあった「中之又小学校」の生徒数も100名を超えていたと聞きます。
産業の衰退と共に、やがて過疎化は進み、平成になると生徒数も10人以下となり、地区の「中武千草さん」らが中心となり、小学校を守るために山村留学をはじめました。宮崎市内など県内の都市部から受け入れ 1995年度から2008年度まで 13年間延べ 230人が学びましたが、平成20年度には全校児童数は2名まで減少してしまい、平成21年(2009年)3月、最後の卒業生を送り出し、「中之又小学校」は閉校となってしまいました。

私が、「中之又神楽」を知ったのは、一昔以上前、NHK宮崎放送(ローカル)で放送された番組でした。
おそらく「中之又小学校」が閉校した年(2009年)の頃だったろうと思います。
中之又神楽では、「中之又小学校」での山村留学中に、神楽を学んだ卒業生が毎年、日向市や宮崎市から中之又へ神楽に戻って来て、舞い手を担っている事、舞いを見守っている母のような「中武千草さん」の姿を見て感動しました。

今でもその時の山村留学卒業生や、先生が過疎化の進む中之又に来て中之又神楽を担っています。

中之又神楽 令和四年(2022年)中武春男宮司 旅所遷座祝詞奏上
中武春男宮司 旅所遷座祝詞奏上(令和四年)
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