令和2年 五ヶ瀬町 古戸野夜神楽祭にて(1/2)
Posted morimori / 2020.01.12 Sunday / 22:53
1月11日(土)〜12(日) 五ヶ瀬町の「古戸野夜神楽祭」を見学しました。
古戸野神社神楽の見学は、今回で3年連続です。
古戸野神社神楽は、6地区で順に奉納されており、一昨年 仲山地区、昨年 久保地区は上組センターでの奉納でした。
今回、神楽が奉納された西地区は、民家を神楽宿とした神楽でした。
上組センター(公民館のような所)とはまた違った、規模も大きいもので、民家ならではの雰囲気の良さ、見ごたえがありました。
神楽宿への道
(国文祭・芸文祭みやざき2020の幟もありました。)
(国文祭・芸文祭みやざき2020の幟もありました。)
二回に分け、写真の一部を紹介します。
(今回は、体調不良(風邪気味)により、朝方4時間程車に戻り休眠しましたので全番付は撮影しておりません。)
以下の説明文は、当日受付で頂いた資料より一部引用したものです。
古戸野神楽の謂われ
古戸野神楽は、旧暦十一月十九日、ご神体を神楽宿に移し、夜を撤して三十三番の神楽を神々に奉納することで、五穀豊穣を願い祈り、合わせて、地域の人々の相互助け合いをも伝承しているものである。室町時代より地神楽として舞われていたものに、南朝忠臣芝原又三郎性虎が高千穂町芝原村より此の桑野内に移り住んだ時、地神楽に高千穂神楽を合わせ、それを古戸野地区に祭祀していた熊野三社大権現に奉納したのが始まりといわれている。
明応七年(1498年)高千穂領主三田井惟房の代、内倉惟増の古戸野神社殿改築に伴い盛んになったようであるが、その後、南朝・北朝の争乱により一時廃れていく。そのような流れの中で、後日再興される過経で伊勢神楽が混じり、他の地区より遅いテンポの舞になったといわれている。その後、明治15年(1872年)古戸野の小田伝次郎が、現在見られるような三十三番の神楽にまとめたという。
大正六年(1917年)に氏子中に火災が多く発生したために、御祭神の一柱、加具土命(火鎮の神)を拝みて崇敬し、火鎮祈願合せが行われている。それ以後、五穀豊穣成、火鎮祈願、家内安全のみならず、交通安全等諸々の安全を祈願し奉仕・奉納されているものである。
古戸野神社 旧称:熊野三社権現(王子権現)
所在地 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字桑野内4668番地祭神 伊邪那岐尊 伊邪那美尊 加具土尊 菅原道真
社伝に依れば、吉野朝の忠臣芝原文三郎性虎が高千穂押方芝原からこの地に移り住んだ時、芝原に祭祀していた熊野三社大権現を此の地に移したものという。
居館を横通囲に定め、樺木岳に拠城を築き比の地を治めた。囲、舛形山、太鼓番、馬繋場、楯山、治部殿、門口、障、馬場、烏岳、狐塚、烏塚等当時の地名を今も留めている。
現在、囲居館跡に性虎八幡宮、厚福寺(菩提寺)、二神神社、光照寺のほか、天満宮、水神宮、観音堂等多数の神仏が祭祀されている。又、又三郎の墓、五輪塔三十数基、御神刀、写経、神楽、棒術、団七踊等古くより保管きれ保存・継承されているものが多数ある。
神社の建築年代は不明であるが、社殿の改築は明応7年(1498年)三田井惟房の代に内倉惟増が再興したと棟札にあつたという。
往時は熊野三社権現と言ったが、明治2年4月吉日に古戸野神社に改めた。社殿は明治22年再建され、拝殿は昭和26年に改築された。
当神社は、故事より「火の神様」として遠近の崇敬厚く、氏子の家に火難ある時は神社の内で不思議な音が聞こえてこれを告げたので、氏子連は社殿にお籠りをして火難除け行事をしたという。
今年の番付(当初予定番付)
1 神降し
2 鎮守
3 入鬼神
4 花沖江
5 幣神随
6 五穀成就
7 地割の前舞
8 地割荒神
9 杉登り
10 岩潜り
11 庭伏
12 入れ鬼神
13 二つ武智
14 杵
15 山の神(男)
16 山の神(女)
17 八つ鉢
18 武智神随
19 山守
20 酒濾し
21 地固
22 大神
23 入れ鬼神
24 〆神楽
25 榊引き
26 戸取り荒神
27 伊勢神楽
28 太力男命
29 舞開き
30 火の前
(神事)
(注連(しめ))