高鍋神楽公演(高鍋町たかしんホール 8/30・東京 国立能楽堂 10/27)
Posted morimori / 2026.08.09 Sunday / 23:13
高鍋神楽の公演が 8月30日(日)に「高鍋町たかしんホール」で開催、10月27日(火)に「東京都 国立能楽堂」で開催されます。
両公演共、無料ですが、事前申し込みが必要で、定員以上の申し込みになった場合、抽選になります。
今回の高鍋神楽の公演は、33番ある神樂より、代表的な神楽が、比木神楽、三納代神楽、都農神楽の神楽保存会により、舞われるものと思われます。
高鍋神楽は、昭和44年に宮崎県指定の民俗文化財となり、昭和53年には記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(国選択無形民俗文化財)にも登録されておりました。
今年(令和8年)高鍋神楽は諸塚神楽と共に、国指定の重要無形民俗文化財に指定されました。
➡ ブログ記事参照
高鍋町たかしんホールで高鍋神楽国指定記念公演(8月30日)
高鍋神楽国指定記念公演ポスター
今年、高鍋神楽は今年、重要無形民俗文化財の指定を受けました。
これを記念しての記念公演が高鍋町で開催されます。
日時:令和8年8月30日(日) 13:30〜17:40(受付13:00から)
会場:たかしんホール(高鍋町中央公民館)Google Map
入場料:無料(定員1,000名)
※事前申し込み必要(申込期限:8月21日(金)
申込専用フォーム等は➡ 高鍋町サイトを参照願います。
高鍋神楽 寿の舞(じゅのまい)
(Planar T* FE 50mm F1.4 ZA)
(Planar T* FE 50mm F1.4 ZA)
高鍋神楽
高鍋神楽は、旧高鍋藩領内の神社で伝承、奉納される比木神楽系、三納代神楽系、都農神楽を中心とした神楽の総称で、高鍋町、新富町(一部地域)、木城町、川南町、都農町、の東児湯5町と美郷町(旧南郷村)で、現在に受け継がれています。舞いは高尚優美、勇壮活発なのが特徴で現代に風雅を伝えます。
毎年、高鍋町・新富町・木城町・川南町の4町の神社の輪番で大神事を行い、夜を徹して高鍋神楽を奉納しています。
高鍋神楽の由来
高鍋神楽の起源は定かではありませんが、口碑(こうひ=昔からの言いつたえ)や神社の遺物から、平安時代から舞われていたと推測されています。高鍋町では古くから、比木神社(ひきじんじゃ・木城町)のお里まわりという神事が行われていますが、別に、神門神社(みかどじんじゃ・美郷町南郷区)への御神幸(ごしんこう=祭事や遷宮などのとき、神体が鎮座する神社から他所へ赴くこと。)も毎年厳重に続けられており、この際に高鍋神楽が奉納される習わしです。高鍋神楽はこの比木神社、神門神社を中心として発祥したものと思われます。
藩政時代は、藩主・秋月氏の奨励保護のもとに神楽道具などの下賜(かし=身分の高い人から下さること)もあり、藩祭として「大神事」が行われており、現在に及んでいます。
高鍋町鎮座の八坂神社・愛宕神社(やさかじんじゃ・あたごじんじゃ)、新富町の三納代八幡神社(みなしろはちまんじんじゃ)木城町の比木神社(ひきじんじゃ)、川南町の平田神社・白鬚神社(へいだじんじゃ・しらひげじんじゃ)、の6社において、例年旧暦12月2日宵から翌3日夜明にかけて盛大に神楽が奉納されています。これは、当番の神社が順番に受け持つもので、この行事の事を、六社連合大神事(ろくしゃれんごうだいしんじ)といいます。
返還
変遷数百年にわたる古い伝統の歴史を持つ高鍋神楽は、明治時代以降は公共の保護もなく敬神の心も薄れ、衰退の危機がありましたが、有志により大正6年(1917)伊勢神宮奉納神楽に栄誉ある参加をし、高く評価されたことで有名になりました。しかしその後、太平洋戦争の戦禍の中、再び神楽の伝承も危機に直面するようになったのです。これを憂う人々の尽力により昭和30年頃から保存活動が起こり、高鍋町、木城町、川南町、都農町の神職有志により保存会が結成され、その後度々の研究討議が重ねられ、現在の「高鍋神楽保存会」に至りました。平成29年(2017)には、大正6年の伊勢神宮神楽奉納から100年を記念して、再び伊勢神宮にて高鍋神楽が奉納されました。高鍋町の先賢と文化財
来、「神楽」は日々を平穏無事に暮らせることへの感謝や祈りの意味を込めて、長い年月をかけて、それぞれの地域に受け継がれてきました。宮崎県内では、300座以上の神楽があると言われています。「高鍋神楽」とは、旧高鍋藩城附地の新納院と呼ばれた地域に受け継がれている神楽の総称で、現在の児湯郡高鍋町、新富町(北部)、木城町、川南町、都農町の五町にわたっています。
ここには六社連合大神事という名称で行われている神楽、三納代神楽系、比木神楽系、都農神楽系があり、受け継がれ今に伝えられています。
高鍋神楽の特徴
高鍋神楽の特徴は、六社連合という方式をふくんでいるだけでなく、他にも「里神楽」という他の神社の祭礼に依頼されての神楽、「お里まわり」などの名を持つ神幸祭に伴っての神楽、比木神社から神門神社への神幸祭である「神門神幸祭(師走祭り)」などがあり、現在も行われています。六社連合大神事は、六社が順番に当番を務める神楽奉納ですが、「大神事」とも呼ばれており、明治時代の記録からは、江戸時代にもこの方式で行われていたのを知ることができます。これは、全国的にみても稀な方式といえます。
奉納神楽の演目(番付)数は三十ほどですが、この中には複雑な内容をもつ「大神神楽(神武神楽)」や、翁面を付けての「寿の舞」など、県内他地域の神楽と比較しても特徴的と言える演目があります。
(2024年6月号)
神楽番附
- 第一番 御神楽(神楽始めの舞)
- 第二番 花の手
- 第三番 荒神返
- 第四番 大神舞
- 第五番 敏伐舞
- 第六番 鬼神舞
- 第七番 将軍舞
- 第八番 問舞
- 第九番 節舞
- 第一〇番 舞揚
- 第一一番 磐石
- 第一二番 神師舞
- 第一三番 振揚舞
- 第一四番 地割
- 第一五番 帳読
- 第一六番 祝詞
- 第一七番 闢開神楽
- 第一八番 闢開鬼神
- 第一九番 繰掛卸舞
- 第二〇番 御笠神楽
- 第二一番 笠取鬼神
- 第二二番 御笠神酒
- 第二三番 御笠将軍
- 第二四番 御笠練舞
- 第二五番 獅子舞
- 第二六番 綱取鬼神舞
- 第二七番 寿之舞
- 第二八番 伊勢舞
- 第二九番 手力雄舞
- 第三〇番 戸開雄舞
- 第三一番 太神
- 第三二番 繰卸舞
- 第三三番 神送神楽
高鍋神楽の魅力
高鍋神楽は、かかとやつま先を細かく使う足の運び、歌舞伎や能楽のように体や肩・頭の振り様が多く、腰を低く落として舞う「座舞」「居舞」の所作が多いのが特徴です。舞様は高尚優美で勇壮活発な舞が魅力と評されます。演目の中には、一時間以上舞い続ける神楽や、夜神楽を観にきた方から参加を募って一緒に舞う演目「御笠練舞」など、33演目の中でも、それぞれに特色があります。また、神楽は男性が舞うものという地域もあるなかで、高鍋神楽は女性の舞手もおり、そのことも見どころのひとつといえます。舞は「序・破・急」の3段編成からなります。
〇序の段・・・場を清め、神々を招き加護を願う
〇破の段・・・庶民の祈りを表現し、変化にとんだ番付が続く
〇急の段・・・日本神話に登場する有名な岩戸開き
六社連合大神事のなりたち
江戸時代、初代藩主秋月種長公の姫君が原因不明の病を患い、回復の兆しも手だても見つからなかった中、藩に仕えていた大寺余惣エ門(おおてらよそえもん)という人物が木城町の比木神社へ心を込めて願掛けのお参りをし続けたところ、病状が快方へ向かい全快したのです。これを非常に喜んだ種長公は御礼参拝をされ、終夜御神楽を奉納されました。これが「神事」のはじまりと言われています。
明治時代を迎えると、廃藩置県により政が藩から県に移行し、藩政時代に受けていた奨励保護もなくなります。神仏分離運動が高揚し、衰微の危機が差し迫る中で、比木神社一社のみで神事を続けることは困難になるのではないかという危惧があり、旧藩領内の郷社である六社が年番で神事を行うことが定められたのです。これが、六社連合大神事の始まりとなります
現在の六社連合大神事その年の役目を担う神社は、境内に、シイの枝葉を用いて神籬(ひもろぎ)と呼ばれる大きな山を仕立てます。しめ縄をはり、御幣装飾物を飾って斎場を作っていきます。各社にとっては6年に1度の大行事となり、当日は神事を執り行ったのち、夜を徹して神楽を奉納します。
参照元(高鍋町サイト高鍋神楽関連情報ページへリンク)
➡ 令和5年11月掲示_高鍋神楽 (PDFファイル: 1.7MB)
➡ 令和6年6月掲示_高鍋神楽2 (PDFファイル: 2.3MB)
以前見学した 三納代神社での六社連合大神事にて
六社連合大神事(三納代神社にて)
六社連合大神事(三納代神社にて)
「獅子舞〜綱取鬼神舞」六社連合大神事(三納代神社にて)














