日々ブログ MORIMORI @宮崎県

高解像(1920pix幅)写真を交え 宮崎県観光/情報などを中心に紹介


FB・twitter フォロー / Youtubeチャンネル登録お願いします(^^)

雲仙普賢岳 最大規模の火砕流から30年

Posted morimori / 2021.06.03 Thursday / 23:04


雲仙普賢岳で、最大規模の火砕流が発生し、報道関係者、消防団員、警察官ら43名の犠牲者を出す大惨事から今日で30年。


雲仙普賢岳の教訓を未来へじ掬膰胸堋后‐皀江管一さん

それでもやれと(知事に)言われたら「窓から飛び降りる」と言って窓に足をかけた。

NIB長崎国際テレビ NIB news every.特集(2021年5月21日放送)

「避難しても何もなかったじゃないか」と言われたら
その時は「何もなくてよかったな」と思わないといけない
だから空振りを躊躇したらいけないと全国各地で言った。/ 元島原市長 鐘ヶ江管一さん


 平成じげもん【鐘ケ江管一さん】普賢岳噴火、対応に奔走
《警戒区域に設定されれば、そこで生活していた住民が一斉にいなくなる。それをのむぐらいなら飛び降りて楽になりたいと、4階の窓から身を乗り出したところ、高田知事に引きずり下ろされました。「住民の損失は国と県で支援する」と知事から確約を取り付け、設定に合意しました。》

《避難勧告や避難指示、警戒区域の設定などは各自治体の首長が判断し、決断を下します。空振りを恐れず、手遅れになる前の早め早めの決断が首長の役割だと思います。オオカミ少年と言われてもいい。「何もなくて良かった」という気持ちにならないといけない。》

避難の大切さを再度認識したい。

掲載した普賢岳の写真は過去に撮影したものです。

普賢岳 平成新山
普賢岳 平成新山 地獄跡火口


1990年〜1995年(平成2〜7年)の噴火

1990年11月17日(平成2年)、九十九島、地獄跡両旧火口から白い噴煙、水蒸気を上げて噴火が198年ぶりに始まりました。
当初は火山灰も少なく溶岩ドームも形成されませんでしたが、1991年2月(平成3年)の屏風岩火口ができてから、火山活動も活発化し、3つの火口からの大量の降灰が深江、島原方面へもたらされるようになりました。また、土石流も発生し、水無川に沿って海岸まで達しました。
1991年5月20日(平成3年)地獄跡火口に最初の溶岩ドームが出現し、その後、溶岩ドームは成長と崩壊を繰り返し火砕流が頻発するようになりました。
6月3日には成長した溶岩ドームの地滑り的崩壊によって、最大規模の火砕流が発生し、報道関係者、消防団員、警察官ら43名の犠牲者を出す大惨事となりました。(最終的には火砕流は9,432回にも及んだ。)



当時、取材現場の定点を含む一帯は「避難勧告地域」。噴火活動の活発化に伴い地元島原市が報道陣に出した退去要請に、「強制力がない」と多くが従わなかった。その時、一部報道機関が避難で留守になった民家の電源や電話を無断で使用。消防団が監視のため避難勧告地域に戻ったところ、火砕流が押し寄せた。

その後、溶岩ドームは、第13ドームまで出現しましたが、1995年(平成7年)には、噴火活動も停止し、5月には「終息宣言」が出されました。
約200年ぶりに起きた"平成の島原大変"は死者44名、建物被害2,511棟、被害総額2,299億円など、地域生活や経済活動に長期にわたって大きな被害を与えました。

雲仙岳の歴史

  • 701年 行基による開山
  • 1663年(寛文3年)噴火。輝石安山岩質の古焼溶岩流が山腹から流出。
  • 1792年(寛政4年)噴火。眉山が山体崩壊を起こし、「島原大変肥後迷惑」の発生その後、山腹からデイサイト質の新焼溶岩流が北東に流下
  • 1928年(昭和3年)3月31日 「温泉岳」として国の文化財(名勝)に指定。
  • 1934年(昭和9年)3月16日 雲仙国立公園(現雲仙天草国立公園)として日本で最初の国立公園に指定。
  • 1952年(昭和27年)3月29日 「温泉岳」として国の文化財(特別名勝)に指定。
  • 1990年11月17日 噴火活動を開始
  • 1991年5月20日 地獄跡火口から溶岩ドームの出現が確認される。
  • 1991年6月3日 火砕流が発生。報道、消防関係者を中心に死者43名の大惨事に。この中には有名な火山学者クラフト夫妻も含まれる。
  • 1995年4月 噴火活動の休止
  • 1996年5月20日 島原市と小浜町(現雲仙市)が溶岩ドームを「平成新山」と命名。
  • 2004年4月5日 平成新山が国の天然記念物に指定される。
  • 2007年 日本の地質百選に選定(「雲仙」)。
続きを読む>>

PAGE TOP