宮崎市 城山公園 (紫波洲崎城址) 青島の近く 仏舎利塔が見えるところ
Posted morimori / 2024.10.12 Saturday / 22:41
10月13日(日) 青島で開催される予定の 「青島神社奉納 花火まつり」の撮影場所のことで「卓上ロケハン?」青島と青島漁港堤防付近に関し、眺望の良いところは無いか、昔の写真を探していたところ 2007年9月に撮影した、城山公園 (紫波洲崎城址)から撮影した青島や青島漁港周辺の写真を見つけました。
この10年後位に「青島裸まいり」の撮影のロケハンで、再訪した事がありますが、その際は周りは木々に覆われ眺望はいまいちでした。
おそらく今もそうだろうと思います。
城山公園 (紫波洲崎城址)
場所:宮崎県宮崎市大字折生迫字上白浜城山公園は標高約67mの高台にあります。
現在、頂上は仏舎利塔を中心とした広場になっていて、北西側から西側眼下に突波川河口、青島漁港、折生迫集落が広がり、北側に青島、東側では日向灘を一望できる。
断崖絶壁の天然の要害上に築造された、海 (港)を治めた城と推定される。
現在、仏舎利塔(ぶっりゃりとう)がある平面L字形の平坦面 (標高 65 m)が当時の主郭 (しゅかく)と推定され、主郭を中心に北西側 (現在、展望台がある箇所、南西側に曲輪 (くるわ)が築かれており、南西側曲輪との間は、深い空堀 (からぼり)で区切られている。
本城は戦国時代を通して伊東 氏、島津 氏の争奪の舞台となった。 永禄年間 (1558-1570年)には伊東48城 (塁)のひとつに数えられ、川崎上総府が城主であった。 天正5年 (1577年)以降は島津 氏 領となり、宮崎地頭で上井覚兼の父、上井薫兼が在城した。
天正15年の豊臣秀吉の九州平定後は、再び伊東 氏 領となり元和元年 (1615年)の一国一城令により廃城となった。
城山公園 (紫波洲崎城址)現地案愛板に付記
城山公園 (紫波洲崎城址)の展望所 四阿
この写真を撮影した頃(2007年9月)は、城山公園 (紫波洲崎城址)の四阿展望所から青島〜青島漁港が一望できました・・周りの草木が無ければ・・風向きにもよりますが、望遠レンズで撮れば 街並みの明り含め良さそうなロケーションです。
宮崎市 城山公園 (紫波洲崎城址) 展望所にて(2007年9月撮影)
現在、ネット上の画像を検索しても、周りに笹などが生茂って視界が良くないような写真が多いようです。
➡ とても残念な展望台でした( 2020.12.30(水) )という記事も見かけました。
経費もかかりますし・・致し方ないですね。
城山公園 (紫波洲崎城址)へは白浜オートキャンプ場の手前から車でも登れますが、道幅がとても狭い坂道で、すれ違う箇所もほとんどありません。
下の道路から登れる遊歩道もあるようですが、登山道みたいな急坂みたいです。 現状どんな状態かは未確認。
➡ GoogleMap