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国富町鎮座「諏訪神社」池のスイレンとコイ|籾木池のアジサイ開花情報

Posted morimori / 2022.06.08 Wednesday / 23:39


先日、国富町鎮座「諏訪神社」を参拝しました。

諏訪神社(国富町鎮座)


境内を取り囲むように水が流れており、緑豊かな境内はマイナスイオンたっぷり、落ち着ける空間でした。

諏訪神社(国富町鎮座)


諏訪神社は全国に約25,000社あるとか。

諏訪神社は、長野県の諏訪湖近くの諏訪大社(旧称:諏訪神社)が総本社。
6年に一度、御柱(おんばしら)と呼ばれる4本の柱を立てる御柱祭で有名ですね。

神社本庁が包括する宮崎県下の神社では「諏訪」と名の付く神社は10社程あるようです。
宮崎市の住吉神社も境内社の三社には諏訪神社もありますので、これらを合わせるともっと多いのでしょう。

現地案内板の御由緒によれば、
諏訪神社は村の鎮守の宮として今より千年の昔 天禄2年(974) 信州(長野県)諏訪神を伊佐生森田に勧請 天正13年(1585)7月27日 福島秀安はじめ300名により現在地に遷宮されたと伝えられる。

 諏訪神は 元来薩摩島津家の氏神で 崇敬の篤い神であった。
 島津義弘は 慶長五年(1600) 関ヶ原の陣より 細島(日向市)に上陸、佐土原を経 10月1日福島家に宿泊、諏訪社に代参神領を寄進せしめた。
 昭和17年(1942) 諏訪大明神を北俣神社と改め 村社より郷社に昇格した。
 とある。

“伊佐生森田に勧請”とありますが、「伊佐生森田」とは何処の事だろう?とネット検索ましたが、同じような御由緒文のコピペばかりで、現在のどのあたりであるかは確認出来なかった。

思うに「伊佐生森田」は、おそらく現在も「伊佐生」という地名が残る この辺り(Google Map)なのかも知れない。
「伊佐生村」は、明治22年(1889) 町村制の施行により、八代北俣村、八代南俣村、深年村と共に「八代村」となっている。その後、最終的には 昭和31年(1956) 本庄町・八代村が合併して国富町となったようです。

追記:国富町に問い合わせたところ、教育委員会 社会教育課の方より回答を頂きました。
伊左生村森田は、現在の国富町大字伊左生(いざお)字森田(しんでん)のことで、現在鎮座している処の昔の地名ではないとの事でした。/ 追記おわり

諏訪大社の御祭神は
建御名方命たけみなかたのみこと ─(大国主神おおくにぬしのかみの御子)と お妃の 八坂刀売神やさかとめのかみです。

一方、国富町鎮座「諏訪神社」の御祭神は
建御名方命たけみなかたのみこと ─(大国主神おおくにぬしのかみの御子)
事代主命ことしろぬしのみこと ─ (大国主神おおくにぬしのかみの御子)
磐長姫命いわながひめのみこと ─(木花咲哉姫このはなさくたひめの姉君)
を祀っております。

八坂刀売神は記紀神話には見られない神で、諏訪固有の神とも考えられるとのこと。
一方、磐長姫命いわながひめのみことは、記紀神話の日向神話で所縁があるので、祀られたのかも知れない。(単なる想像ですが・・。)

関連話題ですが・・

西都市の銀鏡しろみ神社では、磐長姫が鏡に映った自分の醜い容姿を嘆くあまり、遠くに投げたと伝えられる鏡がご神体として祀られています。

西米良村の小川地区鎮座 米良神社も磐長姫を祀り同地区にも伝承があり、小川神楽では 御祭神舞(磐長姫)の舞もある。

小川神楽 御祭神舞(磐長姫)
小川神楽 御祭神舞(磐長姫)


 
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