日本で国宝が全く無い県は二県、その一つが宮崎県 でも今なら見られる
Posted morimori / 2020.11.01 Sunday / 23:26
日本で国宝が全く無い県は、2県、徳島県、宮崎県です。
自虐ネタ気味?ですが・・
但し、宮崎県の場合、大正時代に宮崎県西都市、西都原古墳群に近い「百塚原(ひゃくつかばる)古墳群」(西都市三宅)から出土したとされる、「日向国西都原古墳出土金銅馬具類」が、1935年(昭和10年)年に旧国宝に、昭和31年に新国宝に指定されています。
※旧国宝と新国宝についてはwikipadiaを参照してください。
今回掲載した写真は、西都原古墳発掘100年 西都原考古博物館開館10周年記念特別展 「西都原の逸品たち」 2014年5月19日(土)〜6月15日(日) にて撮影した写真です。
馬の背中にのせる「鞍橋(くらぼね)」の金具など47点で構成され、透かし彫りの精巧な模様が施されている。
この馬具類は、大正時代の初め頃に地元住民の手により発見され、その後、京都で膨大な書跡や考古資料を収集していた名家・守屋家の手に渡りました。
1935(昭和10年)守屋氏が所有している時点で国宝の指定を受けております。
氏の没後、昭和34年に(財)五島美術館(東京・上野毛)に一式を譲渡、現在に至っております。
この馬具類は、大正時代前半に発掘調査がなされた宮崎県西都原(さいとばる)市にある三百二十九基に及ぶ西都原古墳群の中の一基から出土したものという。それが昭和十年代に京都で膨大な書跡や考古資料を収集していた名家・守屋家の所蔵するところとなっていた。 「国宝・重用文化財総合目録」(文化庁)によると、これは昭和十年に旧国宝に、三十一年に新国宝のしていされている。そしてモリヤ孝蔵旧蔵という注記がある。 守屋孝蔵没後(二十八年)そのコレクションの一部は守屋家から移動していたが、それを一括して購入できないかと希望したのが、五島美術館のコレクションを成し遂げた実業家・五島慶太であった。五島は三十三年十一月に東京・麻布の古書肆(しょし)・村内四朗に依頼し、村内の大変な努力によって集めたものを、翌年六月二十日に購入することを決定し契約を取り交わした。 旧守屋家コレクションは、五島美術館の重要な館蔵品の一つとなり、私たちに公開されているのである。
田中日佐夫(たなか・ひさお一九三二年(昭和七)岡山県生まれ。立命館大大学院修了。 成城大教授)
昭和六一年(一九八六)四月五日 の新聞記事より
引用元