日々ブログ MORIMORI @宮崎県

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椎八重公園の八重桜|斜面下部 ツツジのピーク過ぎ

Posted morimori / 2023.04.14 Friday / 23:12


昨日(4/13)「花の駅生駒高原」でネモフィラやポピーなどを見学後、三股町の椎八重しいばえ公園に寄りました。

13日現在、斜面下のツツジはピークを過ぎたものも多く見受けられました。
斜面中程から上の方は、満開見頃でした。

三股町観光協会サイトの情報では、4月11日 8分咲き 13日 満開との事でした。
天候の影響でしょうか、どうやら今年は、公園内全体が満開になる期間は無かったようです。

椎八重公園のツツジ
椎八重公園のツツジ


椎八重公園のツツジ
椎八重公園のツツジ
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「花の駅生駒高原」で40万本のネモフィラが見頃

Posted morimori / 2023.04.13 Thursday / 23:42


花の駅生駒高原 Ikoma Plateau
花の駅生駒高原 Ikoma Plateau

花の駅 生駒高原は、宮崎県小林市の霧島連山が一望できる標高500mの高原に位置、東京ドーム2個分の広さを持つ園内には例年この時期、アイスランドポピーとカルフォルニポピーなどをメインとした植栽が行われておりましたが、今年は青く可憐な花を咲かせる一年草のネモフィラが花の駅生駒高原の敷地の半面を覆いつくすように咲いています。

花の駅生駒高原での「ネモフィラ」の植栽は、今年初。
宮崎県立小林秀峰高校と協働で行っている 「ネモフィラプロジェクト」 の一環との事。

ネモフィラ 花の駅生駒高原
ネモフィラ (花の駅生駒高原)

ネモフィラ 花の駅生駒高原
ネモフィラ 花の駅生駒高原

ネモフィラ+メタセコイア 花の駅生駒高原
ネモフィラ+メタセコイア 花の駅生駒高原

「メタセコイア」がネモフィラを一層引き立ててくれてますね。
下の写真を見ると、藤城清治さんの影絵の世界を連想したり・・

ネモフィラ+メタセコイア 花の駅生駒高原
ネモフィラ+メタセコイア 花の駅生駒高原

ネモフィラ 花の駅生駒高原
ネモフィラ+メタセコイア 花の駅生駒高原


ネモフィラは、全体的にみると、満開の区画の多い今が丁度見頃なのだろうと思います。
GW頃まで咲いていてほしいのですが・・。
生駒高原は平地より若干気温が低めだと思いますので長持ちするかも知れませんね。

ちなみに ネモフィラの花言葉は「可憐」「どこでも成功」「あなたを許す」とか。

【追記】 ネモフィラは段々伸びて来て、GW明け位に見頃を終えたようです。 )
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えびの市 大河平つつじ (おこびらつつじ) 400年以上の歴史背景

Posted morimori / 2023.04.12 Wednesday / 23:37


【 追記 】2024年〔えびの市 大河平つつじ (おこびらつつじ) 〕開花情報
4月9日付 宮日新聞によると、大河平つつじが満開を迎えているようです。4月中旬まで楽しめそう・・とのこと。

えびの市 大河平おこびら地区にある、大河平おこびらつつじ(本キリシマツツジ)を見学。

えびの市 大河平(おこびら)つつじ
えびの市 大河平(おこびら)つつじ


まずは、この地の歴史を学習

大河平おこびら

Wikipediaより引用
大河平氏(おこびらし)は、日向国の氏族で、肥後国菊池氏の庶流。元の姓は八代氏で、弘治年間頃に日向の大名北原氏に仕えて大河平氏を名乗り、その後に島津氏に仕えて薩摩藩士として存続した。

概要
菊池氏6代・隆直の三男・菊池五郎隆俊が八代に移り、八代隆俊を名乗り菊池宗家に従っていたが、菊池宗家は、隆屋が八代氏12代当主の頃に大友氏と争い敗れ、一族共々米良山中に逃れた。一部は米良に留まり、あるいは須木に移住し米良氏を称したが、隆屋は部下66家を率いて北原氏を頼り、真幸院・飯野(現・えびの市)の大河平郷に移り住んだ。その際、姓も大河平に改めたとされる。本貫地は終生変わらず、大河平のままであった。

大河平一族は永禄7年(1564)5月30日伊東軍と戦いほとんど滅亡しました。これが世にいう今城合戦です。
合戦に敗れた氏族達が流した血の色とも言われ『血潮ツツジ』とも呼ばれているそうです。

より詳しく知りたい方は 

大河平隆次(Wikipedia)

今城合戦 / 大河平事件(Wikipedia)

大河平おこびらつつじ

このつつじは、戦国末期の天正10年(1582)頃、大河平領主、大河平左近監隆俊という人が上大河平の旧領を拝領し、島津義弘公の設計で邸宅を造った際、霧島山中より映山紅(キリシマツツジ)の見事な物だけを集めて 庭木にしたものといわれます。

以下の彩色画は、この邸宅が、明治10年の役(大河平事件参照)で全焼した為、明治33年(1900)、大河平隆芳は記憶をたどり、絵師に描かせたもの。

絵図

説明


屋敷跡は、大河平小学校となっていた。
400年もの長い間、大河平の歴史を見て来たつつじです。
※2008年(平成20年)から休校となっていた大河平小は児童数の減少や保護者、地域住民の意向を受け、2015年閉校となった。

学校の正門側の道路沿いに約100mにわたり鮮やかな朱色の大河平つつじが咲き乱れている。

えびの市 大河平(おこびら)つつじ (1)
えびの市 大河平(おこびら)つつじ (1)


えびの市 大河平(おこびら)つつじ (2)
えびの市 大河平(おこびら)つつじ (2)
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