行縢神社の狛犬は、左から阿行・吽行
Posted morimori / 2016.10.11 Tuesday / 23:51
先日、参拝した延岡市行縢町鎮座「行縢(むかばき)神社」、この神社の狛犬が非常に印象的でした。
〜 行縢神社の狛犬 阿形 左 〜
〜 行縢神社の狛犬 吽形 右 〜
台座には、奉納・明治31年12月・明治33年1月と彫られておりました。
よく見る狛犬とは程遠く、お猿さんのような様相、海老茶っぽい色合を見たとき、どことなく唐の国の雰囲気を感じ、焼き物?と思いましたが、石て、着色してあるようでした。
元来狛犬は、獅子と狛犬であり、向かって右側に獅子像「阿形(あぎょう)」(口を開いている)、左側に狛犬像「吽形(うんぎょう)」(口を閉じている)の配置が多いようです。
お寺の仁王像も同様です。
〜 仁王像(宮崎神宮境内にて) 〜
行縢神社の狛犬は新しいもの含め、右が「吽形(うんぎょう)」左が「阿形(あぎょう)」の配置と逆のようです。
「図解 ふしぎで以外な新道(学研パブリッシング)」によると、(以下引用)
狛犬が、日本に流入したのは、平安末期で、遣唐使が持ち帰ったのが最初だという。
一説にはこのとき、本来は別物であった狛犬 (頭上に一角を持つ) と唐獅子が、一対の動物であると誤認されたのだという。いずれも中国において生まれた想像上の動物だ。
狛犬は当初、天皇を守護する霊獣であった。そのため、宮中の清涼殿の御帳前や、天皇と皇后の惟帳(幕) の裾を押さえる鎮子(重し) として小型の狛犬と唐獅子が置かれていた。
このときは、口を開いた阿形の獅子像が左側に、口を閉じた畔形をした狛犬が右側に置かれた。このパターンは、現在とられている一般的な配置とは逆である。(引用終わり)
特に決まりごとみたいなものは無いようですが、県内では左側が「阿形(あぎょう)」という配置は珍しいのかも知れませんね。