日々ブログ MORIMORI @宮崎県

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11月23日、野島神社で、野島神楽(のしまかぐら)が奉納されました。

Posted morimori / 2017.11.24 Friday / 20:56


今年も、11月23日、野島神社で野島神楽が奉納されました。

野島神社は日南海岸沿い、堀切峠、道の駅フェニックスから数キロ南下したところ内海地区に鎮座、秋の例祭 11月23日(祝)に 午前中の「新嘗祭」の後、お昼より、昼神楽として「野島神楽」を毎年奉納しております。

野島神社境内には鮮やかな色の大漁旗が飾られ、独特の雰囲気、境内には立派な神楽舞台が設えられ、秋空の下、夕刻暗くなる前まで全17番が舞われました。

当方は、十三番、箕どり舞 から見学、写真をいくつかご紹介。

野島神楽(のしまかぐら)の説明

(当日の掲示物より引用)
野島神楽とは、浦島太郎の伝説が残る野島神社(宮司河野武嗣)に伝わる神楽で、伊勢神楽の系統を継ぎ、500年の伝統を誇ります。
「降臨の舞」と「里神楽」で成り立っています。四方を踏むことが基本と言われ、太鼓の音も「六調子」のリズムが基本で勇壮活発な舞いです。
 古くより加江田神社と共演していましたが、寛文2年(1662)の外所(どんどころ)地震以降、野島に残り舞い継がれ、33番のうち22番程伝承されています。
 以前は、3月20日の春の大祭に奉納されておりましたが、戦後、早期水稲栽培の復旧に伴い、11月23日の秋の大祭に行われるようになり、地区を挙げての行事となっています。
 平成25年10月には、宮崎市指定無形民俗文化財に指定されました。



野島神楽 箕どり舞
〜 野島神楽 箕どり舞 〜



野島神楽 箕どり舞
〜 野島神楽 箕どり舞 〜
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今日は「新嘗祭」(にいなめさい) 生目神社にて。

Posted morimori / 2017.11.23 Thursday / 23:47


今日 11月23日は、新嘗祭(にいなめさい)の日

戦後、「勤労感謝の日」という名前の国民の祝日になって以降、古来のこの祭日の意義を忘れつつありますが・・
新嘗祭」は、その年に収穫された新米や新酒を天地の神様に捧げ、天皇と国民が一体となって、天地自然の神々に感謝し、収穫を喜び合う国民的な祭典、日本の収穫祭です。

一説によると飛鳥時代から行われていたといわれております。

今日参拝した、宮崎市生目鎮座「生目神社」でも、拝殿に多くの収穫した品が供えられておりました。

生目神社 新嘗祭
〜 生目神社 新嘗祭 〜


 生目神社

「新嘗祭」は戦後「勤労感謝の日」に・・

この宮中行事でもある「新嘗祭」、1945年の敗戦後、GHQの占領下のもと、国家神道の色が強い「新嘗祭」という名前の祭日を排除し、違う名前の祝日とするよう提案があり、制定されたのが現在の「勤労感謝の日」でした。 
 
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西都市「記紀の道」逢初川、無戸室跡、児湯の池、石貫神社

Posted morimori / 2017.11.22 Wednesday / 23:33


連日の、西都市シリーズ、今回は、記紀の道で撮影した写真。

「記紀の道」とは

「記紀」は日本で最古の文献といわれる古事記(712年)と日本書紀(720年)のことですが、その記紀に書かれている日向神話に登場するニニギノミコトとコノハナサクヤヒメにまつわる伝承地をひとつのルート(都萬神社より西都原古墳群まで)結んだものを観光ルート「記紀の道」として位置づけたものです。

ルート途中には駐車場等はありません、歩いて散策という感じのルートです。(片道約4Kmです。)

記紀の道概略コース
都萬神社】〜5分(230m)〜【御舟塚】〜20分(1,060m)〜【逢初川】〜1分(40m)〜【八尋殿の跡】〜7分(380m)〜【無戸室跡】〜1分(80m)〜【児湯の池】〜7分(320m)〜【石貫神社】〜10分(330m)〜【大山祇陵】〜16分(880m)〜【鬼の窟】〜11分(500m)〜【男狭穂塚・女狭穂塚

逢初川、無戸室跡、児湯の池、石貫神社の写真

今回、記紀の道の立ち寄りスポットより、4ヶ所の写真を掲載。
その他のスポット他、詳しくは、下記ページをご覧ください。
 記紀の道



逢初川(あいそめがわ)

高千穂峰に降りられた天孫ニニギノミコトはこの地に移り住まわれますが、ある日 散歩の途中この小川で水くみをしていたコノハナサクヤヒメを見初められ、結婚の申し込みをされた場所だと伝えられています。

西都市「記紀の道」逢初川(あいそめがわ)
〜 西都市「記紀の道」逢初川(あいそめがわ) 〜


【 追記 】無戸室(うつむろ)へ向かう途中に 7月中旬〜8月中旬にかけ、大賀ハス(古代ハス)の咲く水田があります。
「記紀の道」の大賀ハス(古代ハス)

無戸室(うつむろ)

ニニギノミコトはコノハナサクヤ姫と結婚、一夜明けると土賊征伐にお出かけになり数ヶ月してお帰りになると、姫はすでに身ごもっておりました。コノハナノサクヤヒメが一夜の契りで妊娠したことを知ったニニギノミコトは「国つ神の子ではないのか」と疑う。コノハナノサクヤヒメは、身の潔白の証として出入り口のない産室を作らせて火を放ち、「ミコトの子ならば無事に生まれましょう」とそこへ入り、ホオリノミコト(山幸彦)、ホデリノミコト(海幸彦)、ホスセリノミコトの三皇子(おうじ)を産んだ。 無戸室(うつむろ)は地元では火柱殿(ひじゅどん)ともいわれているそうです。
大きなケヤキの木も見ごたえあります。

西都市「記紀の道」無戸室跡
〜 西都市「記紀の道」無戸室跡 〜
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